忍者ブログ

資源ゴミ置き場

あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。

[40]  [39]  [38]  [37]  [36]  [35]  [34]  [33]  [32]  [31]  [30

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


生活(改造版)

 
 (まえがきのようなもの)
 前に同タイトルで置いていたレントンさんの文章を改造しました。
 構成は改造前とは大体似た感じですが一部を削除したり追加したりした結果として文章量がやたらおぞましいほどに増えまくっている。
 出血表現やら傷に塩を塗るような痛々しい表現やらが満載なので苦手な人は気を付けてください。
 

  
 扉を開けると、部屋は真っ暗だった。
 部屋の明かりを点けた私を迎えるのは、最低限の家具だけが置かれた小奇麗を通り越して殺風景な部屋と沈黙だけだ。
 ――それも当たり前のことだ。私には同居人というものがいないのだから。
 私には、同居人どころか飼い猫の一匹もいない。
 そんなことを分かり切っているというのに、いつも私は帰りを待つ者が誰もいないことを心のどこかで「寂しい」と思っているような気がする。
 そんな時、私は未だ自分に感情というものが残っているのかと訝しむような気分に陥る。
 まさか、私が寂しさを感じるなんてことがあるものか。
 私がこんな生活に身を置くようになったのは、最愛の妹を亡くした頃からだっただろうか。
 あの頃から、私は人間嫌いを加速させていったのだった。
 全てを妹の死のせいにすることはできないが、それでもこの出来事が私の人生に大きな爪痕を残したことは否定できない。
 私の妹は絵描きを志して絵の勉強や練習に尋常でない努力を注いでいたが、彼女が絵描きとして成功を修めることはなかった。
 妹は精神を病んだ。そして、冬のある日に湖へ身を投げて死んでしまった。
 妹の死は確かに、まだ若かった私を大きく打ちのめす出来事だっただろう。
 だが、それよりも私は妹を取り巻いていた周囲の人間たちに絶望を覚えたのだった。
 精神を病んだ妹は周りの者に疎まれ、蔑まれるようになった。
 どうやら、彼女は同年代の子供に罵りの言葉をぶつけられることもあったらしい。
 一方、その頃の私はギルドの助教授として教壇に立つこともあり、ギルド内での業務が忙しくなりつつあった。
 ギルドでの私は業務の合間を縫い、あるいは夜遅くまで図書館にこもっては心の病に効く薬や魔術に関する本などを読み漁っていたが、それよりも私にはするべきことがあったはずだ。
 私が夜遅くまで図書館にこもったのも、ギルドの業務を自分から進んで受け持ったのも、ある種の逃避だったと言えるかもしれない。
 もっとも、家族はそんな私のことを咎めるどころか賛辞さえしていたのだが。今思えば、家族は私を家に寄せ付けたくなかったのかもしれない。
 私はギルドが休みの日には妹へ「絵以外の道を探すのも間違いではない」などと諭すようなことを言ってみたり、彼女が好きな草花を庭で栽培しようと誘ってみたりしたのだが、それはことごとく失敗に終わった。
 ――皆はわたしに絵描きの道を諦めろとしか言わない。子供じみた夢を諦めてもっと年頃の女らしく振舞いなさいとばかり。もっと女性として魅力的で華やかな服を着なさいとかお化粧をしなさいとか言うけれど、わたしはそんなこと興味ない。
 ――兄さんはいいよね。好きなことの才能があって、皆にも認められて。
わたしは女で、兄さんみたいな才能もなければ美人でもない。どんなに頑張ったって兄さんには敵わない。そうよ、兄さんはただ運が良かっただけ。偶然男の子に生まれたから。わたしより六年早く生まれてお父さんとお母さんにわたしの六倍愛されたから。わたしよりうんと賢い子供だったから。昔っから皆、兄さんばかり見て「可愛くて賢い良い子ね」とか「この子は天才になる」とばかり。そんな良い御身分で、お説教とか何様なの?
 機嫌が悪い時の妹はこのようなことを私に向けて何時間もまくし立てた。
 そんな妹のこともあって、家の雰囲気はとても険悪だった。
 正直に言えば、私もその頃の家に帰ることがとても苦痛だった。そう、私は敢えて妹と向き合うことを避けてしまったのだ。
 かくして私が逃げ続けているうちにいつの間にか、妹は遠く離れた療養所へ送られていた。
 かつて街で購入したルビナス製のブローチを贈るほど仲の良かった妹が不在の家はあまりに寂しく、二度と妹に会えないのではないかという不安が私を襲った。
 私がようやく妹とまともに向き合わなくてはいけないことに気付いたのはその頃だったのだ。
 それからの私はこれまでの逃避的な姿勢を反省し、積極的に療養所へ足を運んでは衣服や日用品を妹へ届けるようになった。
 この行為は、せめて妹との繋がりを失いたくないという思いから来るものだったとまでは言える。
 会えないことの方が多かったが、療養所の小ぢんまりとした面会室で妹と途切れ途切れに会話をしながら私が喜びを感じていたのは紛れもない事実だった。
 妹はゆっくりだが着実に元の具合を取り戻しつつある。そんな確信が芽生えた頃だった。
 妹が療養所の近くにある湖へ身を投げたという知らせが療養所から届いたのは、そんなある日のことだったのだ。
 それは、早咲きの椿がまだ色褪せないままの花を首だけ残して落とし始める季節だった。
 
 
 黒いローブを脱いで壁にかけると、私は水を浴びるために浴室に立った。
 水を浴びている間は、どうしても四角い鏡に映るみすぼらしく痩せた男との睨めっこを避けられない。
 この男は一体どれだけ髪を切らずにいるのか。伸びすぎた髪は洗うのに時間がかかって仕方ない。これだけ長くなった髪はいくら手入れをしてもぼさぼさになってしまうのだから一思いに切ってしまえばいいのだ。
 ――――――そう、切ってしまえばいい。
 不意に、耳の奥から小さな声が響く。その声は抑揚が全くなく、何の感情も読み取れない。
 そうだ。この声の通りだ。切ってしまえばいい。切らなくてはいけない。だが、一体何を切ればいいのだろうか。一体何を切らなくてはいけないのか。
 気が付くと、私は泡だらけの左手に目をやりながらそんなことを考えていた。
 ――――まさか、そんなわけがない。そんなことより髪を濯がなければ。
 そうして髪を濯いでいる間、いつの間にか私はこの世界に存在する女神について思いを巡らせていた。
 才能の有無や運という不平等がこの世界には存在するが、それは幸運の女神というものの賜物だと言われる。
 妹が彼女から賜ったものは不運だった。そして、妹はその結果としてこの世界から消えた。いや、消えるしかなかったのだろう。
 今もなお私はどうにかして妹が消えるのを止めることができなかったのだろうかという後悔に苛まれる。
 この後悔という感情は私にとって呪縛のようなもので、この先もそれが解けることはない。それどころか、この呪縛は歳を重ねるごとに重くなっていく。
 時折、私は幸運の女神というものを恨む気持ちに駆られるが、それはただの八つ当たりでしかないだろう。
 いつの間にか、私は逆恨みをすることでしか自分を保てなくなっていたのだ。
 乾いたタオルで身体を拭いながら浴室を出る。
 シャツに袖を通しながら洗面所の鏡に目をやると、そこにはこの世で最も大嫌いな人間が映っていた。彼は私にとって幸運の女神よりもずっと恨むべき人間だ。
 片目を隠すほどに伸ばしっぱなしの前髪からは水の滴が滴り落ちる。瞬きと共に黒く長い睫毛からは小さな水滴が跳ねた。
 もう遠い記憶の中にしかいない妹ととても似た色の髪と目をしているくせに、この男は妹と似ているようで全く似ていない。
 鏡から私を無機質な目で見つめる男の顔が、私には心底から醜く思えて仕方なかった。
 ――――そんな醜い顔なんて、切り刻んでしまえ。ぐしゃぐしゃに切ってしまえ。
 耐え難さを感じて目を伏せたその時、顔を切れと促す声が耳の奥で響いた。低い女の声だろうか。それとも男の声だろうか。それは分からないが先程よりずっと鮮明な声だ。
 そして、私はいつの間にか細長い剃刀を手に握り、その刃で頬を切りつけようとしていた。
 それに気付くと、喉から悲鳴が漏れた。
 いつの間にこんなものを手にしていたのだろうか。危うく本当に顔を切り刻んでしまうところだったのではないか。
 私は曲がりなりにも魔術士としてギルドへ顔を出している人間だ。
 だから、顔を人前に晒さずにいるなんて無理だ。切り刻んだ顔で人前に出ればどんな目で見られることか。
 いくら自分の顔を切り刻みたいと思っていてもそれを行動に移してしまえば非常に困る。
 結局、私は妹の面影を僅かに残した自分の顔を傷付けることなどできないのだ。
「すまないが、顔だけはやめておくれ……」
 私は床にへたり込みながら「声」に向かって呟いた。
 だが、その「声」は剃刀を手放すことを許してくれなかった。
 ――――なら、その腕を切り刻め。胸もだ。
 私は手に握った剃刀を投げ捨てようとしたが、それは何かによって阻止されてしまった。
 ――――お前なんて死んでしまえばいいんだ。その重たい頭を乗せた首を切って死ね。死んでしまえ。
 私は罵声に抗おうと試みる。私はまだ死にたくない。少なくともこんな所で一人死ぬのは嫌だ。
 だが、身体が命令に従って勝手に動き出す。刃が腕に突き刺さる。皮膚が破れ、肉が裂ける。
 私は何かへ抗おうとするが、刃を動かす手は止まらない。止められない。
 そうするうちに視界が白く霞み、意識が遠くなっていった。
 
 
 再び意識が清明になると、私は体液まみれになった洗面所で仰向けに倒れていた。
 私は暫く気を失っていたのだろうか。死を促す罵声が聞こえてから正気に戻るまでの記憶がない。
 両腕や首、胸に脈打つような痛みが貼りつき、夏だというのにひどく寒い。この寒さと痛みは私の意識を清明にさせていく。
 何とか身を起こすと、まるで自分を慰めて体液を吐いた後のような虚脱感が全身に纏わりつき、荒い息が漏れた。
 自分を慰めた時と違うのは、ただ辺りに飛び散る体液が真っ赤なことと、その行為を気持ちいいことだとはとても思えそうにないことだけだ。
 でも、それが性欲というものだろうと感情というものであろうと何であれ何かによって駆り立てられた結果行ってしまうことだというのは同じだろう。
 それから、自分を慰めるのも身体を切るのも体液を失う行為だという意味で全く同じだ。
 こうして座り込みながら血だらけの冷えきった身体を庇っていると、深手を負いながら死に怯える敗残兵になったかのようだ。
 血が染み込んで固まりかけたシャツの袖を指で引っ張ると、バリバリと紙袋を破くような音が響いた。
 白い床に目をやると、血液の水溜まりは既に乾き始めていて壁にも乾きかけの血液がこびりついている。
 その時、私は自分がどれだけの血液を無造作に流してしまったかを知らしめられることとなった。
 この無駄に流れてしまった血液は、いずれ精液として体外に吐き出される運命だったのだろうか。あるいは、尿として排泄される運命だったのか。
 いずれにしても私は体液を無駄に流してしまうことになるのだが。ことごとく私の体内に宿った体液は不運だ。
 かつて、何かの書物で「自慰によって精液を失うことはその精液の四十倍もの量の血液を失うのと同等の衰弱をもたらす」と読んだことがある。
 確か、その書物はまだ魔術士ギルドの生徒だった頃に図書館で好奇心から手にしたものだったはずだ。
 書物の題名などとうに忘れてしまったが、過度の自慰や性交で命を落とした人間の物語をいくつも記した内容であったことは覚えている。
 ――無闇な快楽に溺れて命を失うことは、刃物で身体を切ること、拳銃で頭を撃つこと、入水することと大差ない行為だ。
 その書物には、このような恐怖を煽る文句がいくつも書かれていたのだが、当時の私はそれを読みながら、なんて愚かな死に方をする者がいるのだろうと笑っていた。
 そして、刹那的な快楽に命を落とすまで溺れることも、身体を刃物で切り刻むことも拳銃で撃つこともしないだろうという驕りさえ抱いていた。
 だが、そんな驕りを抱いていた少年は今や死ぬために身体を切るようになってしまった。
 実のところ刃物を自分に向けるのはもうこれが初めてではない。少なくとも妹を亡くして数年経ってから始まったのだろうが、きっかけになることなんて今となっては忘れてしまった。
 最初はここまでひどくなかったはずだが、この奇怪な行為は何年も経つうちに激化し、今となっては死の恐怖を抱かずにいられないほどになってしまった。
 そんな今、あの書物の脅し文句は決して笑えるものではなかった。
 やりすぎた自傷で血液を流しすぎて死ぬのと、やりすぎた自慰で精液を流しすぎて死ぬのはどちらが不名誉な死なのか。
  同じ不名誉な死なら、失血に苦しみながらではなく快楽に溺れながら死を迎える方がまだ賢明なのではないか。
 いや、そんなくだらないことを考えている場合ではない。もっと言えば、こんなくだらないこともしなければ良かったのだ。
 この洗面所の後始末をしないといけないが、どうも気力が湧いてこない。何より、出血のせいか頭がくらくらして吐きそうだ。
 どうせ私以外に誰もいない家なのだから掃除は明日にしようかと思うが、そうすれば血液が完全に乾いてますます厄介だろう。
 それにしても、せっかく水を浴びたというのにまた全身血だらけになってしまった。一体何をやっているのだろうか。私は本当に馬鹿だ。
 私は眩暈に怯えながらゆっくり立ち上がると、棚から取り出した一枚のタオルを濡らして傷を拭った。
 そして、全身の出血が止まっているのを確かめ、吐き気に耐えながら床や壁を埋め尽くす血を拭い始めた。
 
 
 翌日は、魔術士ギルドで他人と顔を合わせることが不安だった。
 勿論のこと、それは昨夜に作ってしまった傷のせいだ。
 長袖シャツの上にローブの袖をだらしなく伸ばし、布製の手袋をはめて両手を隠す。そして、菫色の大判スカーフと長く伸びた髪で首を隠した。
 そうしていてもローブの袖やスカーフが捲れ上がるのではないかという不安が付きまとった。
 いくら髪が顔に覆いかぶさって邪魔だとしても不用意にかき上げればスカーフの隙間から傷が見えるかもしれない。それを考えると不安で髪も不用意に触れなかった。
 さらに、傷だらけになった肌を隠すための厚着は発汗の元となり、その汗は容赦なく身体中の傷に染み込んで痒みや痛みをもたらした。
 痒みの伴う痛みは痛みだけよりも更に耐えがたい不快感をもたらすもので、教壇の上で喋りながら全身を掻き毟りたい衝動を抑えなければならなかったのだ。
 その日の講義を終えると、私は真っ先にトイレの個室へと駆け込んだ。
 蓋の閉まった便器の上に腰を下ろし、そのまま一息を吐く。
 講義中は黒板に字を書くために何度も腕を上げる必要があり、字を書くたびに袖がずり落ちるのではないかと気が気でなかった。
 講義時間をひどい緊張と暑さにさらされながら過ごしていたため、汗がだらだらと顔を流れ落ちていく。
 講義室という人目にさらされる場から解放されたことも相まって私はもう衝動を抑えきれなくなっていた。
 ローブの袖を捲り上げ、手袋とシャツの袖口のボタンを外し、露わにした両腕に爪を立てる。
 ――痒い。痒い。痒くて仕方ない。この痒みを更に強い痛みで塗り替えたくて仕方ない。
 激しく疼く腕を一度爪で引っ掻き散らすと、突き上げるような快感が全身を走った。
 そんな中で、掻き毟られた皮膚が再び破れてしまうことを分かっていても手を止めることなどできなかった。
 どれだけ腕を掻き毟り続けていたのか。腕と同じように首を掻き毟ろうとしたところで、血だらけになった両手の爪が視界に入った。
 我に返って腕へ目をやると、両腕は昨日と同じように真っ赤になり、シャツの袖もまた赤く汚されている。
 溢れ出る鮮血は腕の上に巻き付きながら滴り落ち、床にいくつもの赤い花を咲かせた。
 あまりに強い力で縦横無尽に掻き毟ったからだろう。再び口を開けた傷という傷が心臓のように脈打ち続けている。
 腕を掻き毟る快感は一気に引き、その代わりに腕は痛みという形で悲痛な叫び声を上げ始めた。
 私は応急処置にと壁に引っ掛けられているトイレットペーパーをいくらか引き千切り、両腕をぐるぐる巻きにして止血を試みる。
 個室の扉を開けようとしたその時、扉の向こうから足音が聞こえた。
 私は扉の鍵を再び閉じ、扉の向こうの足音に耳を済ませた。
 その足音は、段々と私のいる個室に近づいてくる。
 そして、扉がごんごんと音を立てた。どうやら足音の主はこの個室の中にいる者の有無を確かめようとしているらしい。
 だが、今は自分の存在を相手に認識されることがとても億劫で、声を出す気力も扉を叩き返す気力もなかった。
「誰かが入ってるみたいだよ、しかも返事すらない。こっちは次の時間が講義だから急いでいるっていうのに最悪だ」
 足音の主が誰かに向けて喋っている。ということは、今この扉の向こうには二人以上の人間がいるのだ。
「へえ、大便でもしているんじゃねえの? っていうか返事がないってまさか中で死んでいるんじゃないよな?」
「ははは。ドアを開けたら血がドバーッって? そんなことがあったら大事件だ」
 先程とはまた別の声が聞こえる。会話の内容を聞く限りでは、扉の向こうにいるのはこのギルドの生徒たちらしい。
 その声はいかにも冗談交じりの口ぶりだが、実際に流血沙汰となっている身としては会話の内容に笑うことなどできなかった。
 再び両手に目をやる。
 じわじわと滲む血は見る見るうちにトイレットペーパーを侵食していく。
 先程巻きつけたトイレットペーパーは早くも血で真っ赤になりつつあった。
 ――どん。どん。
 再び扉が叩かれる。
 だが、私は息を殺したまま声を出すこともできない。
「……本当に返事も全然ないな。ずっと待っていたら講義が始まってしまいそうだ」
「ああ、確かにな。小便をするのは講義が終わった後にするよ。講義っていったらさっきの時間は寝ちゃったな」
「うへえ、あの講義で寝るとかどれだけ神経が図太いんだよ。あの講義を受け持ってる教官ってむちゃくちゃ怖いじゃないか。あの血も涙もなさそうな目で睨まれたら小便ちびりそうだ。それに、先輩の言うことじゃあ、あいつには『鬼教官』というあだ名が付いているらしいぜ」
「ああ、それは知ってるよ。レイ……じゃなくてレントンっていう教官だったな。試験の評価とかすごく厳しいんだろ。でも、今日はどうしてなのか寝ていても注意されなかったんだよ。何でだろうな」
 ――不意に自分の名前を出され、私は心臓の辺りを拳で握られるような心地がした。
 確かに今日の講義は後ろの席で居眠りをしている生徒が数人いた覚えがある。
 だが、今日は居眠りをする生徒を起こしに行くこともできなかったのだ。
「へえ、珍しいこともあるんだな。お前、レントン教官に目を付けられてるんじゃねえの? 直々に呼び出しがあるかもな。補習なんてことになれば鬼教官様と二人っきりの濃厚な時間を過ごせるじゃないか、せいぜい色々なものをこってり搾られてくることだ」
「やめてくれ。俺、あの教官嫌いなんだよ。あいつと二人きりだなんて考えただけで死にそうだ。大体、講義室は暑いしあいつは堅苦しい話しかしないしで眠るなっていう方が無理だって。そう言う君はどうやって起きているんだよ」
「お前は夜な夜な無駄に本を読み過ぎなんだって。まずは講義を真面目に聴くことだな。どうしても起きてられないって言うなら、ズボンの中に手を突っこんだまま講義を受けたらどうだ。それならさすがにお前でも寝ないだろう」
「おい、そっちの方が寝るよりまずいだろう!」
「ははは、そうだな。床でも汚せばギルド長がご立腹されるもんな。どうしても無駄な本を読みすぎるっていうなら俺が預かってやってもいいぜ」
「そんなことを言って、ただ君が読みたいだけじゃないか! 分かったよ。今度貸すから。そんなことより早く行こう。講義が始まってしまう」
 生徒たちがこの場から離れる旨のことを話し出すと、私は僅かに安堵した。
 扉の向こうから二人分の大笑いする声が響き、二つの足音はどんどん遠くなっていく。
 そうして、トイレ内に再び沈黙が訪れた。
 この時、両腕に巻いたトイレットペーパーはもう使い物にならなくなっていた。
 絞れるのではないかというほどに血が染み込んだトイレットペーパーを便器に流し、辺りに誰もいないことを確かめるよう個室の扉から頭を出す。
 そして、私は手洗い場で血を洗い流した腕を庇いながら自室へと向かった。
 
 
 その後の私はギルドを早めに抜け出し、建物の裏に膝を抱えながら座り込んでいた。
 壁の向こうからは人々の雑踏が遠く聞こえ、野草が生えた地面のすぐ先には湖が広がっている。
 風とともに水面は細かい波を立て、波立つ水は私の目の前に何度も何度も押し寄せては枯れ葉や砂を飲み込んでいく。
 私は考える。妹もこんな風にして水の中へと飲み込まれてしまったのだろうかと。
 この世は元素の神によって創り出されたいくつかの元素で構成されているという。水もまた、元素の神によって創り出されたものの一つだ。
 そして、妹を殺した「水」は私の中にも巡っているものである。
 今日も私は人を殺しうるものでもある水を身体に取り入れては外に吐き出して生きている。そうしないと生きていられないからだ。
 血液、尿、唾液、涙、精液といったあらゆる体液は全て水がなければ作れない。
 かといって元素の神を恨もうだなんて思いやしない。
 ただ、私は自分が水を孕む存在であることを自覚するたびに絶望感と無力感に駆られた。
 そして、この街――ルミエストはことごとく水に囲まれている場所だ。
 私は今日も妹を殺した物質である水に囲まれた場所で暮らし続けている。
 妹を失って間もない頃は、この街を離れて違う街へ移り住もうと考えることもあった。
 あの頃ならそうしようと思えばそうできたはずだが、結局私はそうしなかったのだ。
 この水浸しの街から離れても、水から逃げることなどできないと気付いた日から私はこの街を離れることをも諦めてしまったのだろう。
 人というものは、未知の変化を選ぶより既知の不変を選びがちだ。たとえ不変であることが苦痛に満ちていたとしても。
 風になびく前髪をかき上げようと腕を上げるとローブの袖がずるりと落ち、固まった血で海老茶色に汚れたシャツの袖とその下の包帯が露わになった。
 そうだ。このシャツも帰宅した後に洗濯をしなければいけない。今日はせめて汚れが目立ちにくい色のものを選べば良かったのだ。
 ふらふらと立ち上がり、湖面へ目をやる。
 そこに映るのは、髪が風になびいてぼさぼさになり、ぐしゃぐしゃになったローブを身に纏う自分の薄汚い姿だった。
 そこで突然、私は傷をあくまで隠し通そうとする自分の行動が悲しく思えた。
 何と惨めなことか。たとえ赤い線だらけの化け物みたいになった身体を隠しても、私は醜いのだ。
 自分がこんな姿で教壇に立っていたことを思うと、消えてしまいたかった。
 その時だった。私が突然に人の気配を感じたのは。
 顔を上げると、一人の少女がきょとんとした顔で私を見ていた。
 少女は五歳か六歳くらいだろうか。白い綿製の涼しそうなワンピース姿に、癖のある赤い髪を二つに分けて兎のように高く結い上げている。
 私は悲鳴を上げそうになるが、喉元で抑え込んだ。
 そして、私と視線が合うやいなや少女は怯えるような顔を見せ、そのまま一目散に表通りへと逃げていったのだった。
「いやあああああ、お兄ちゃーーん!!」
 兄を呼んでいるのだろうか。少女の悲鳴が壁越しに響く。
「何だ! どうしたんだ!?」
 そして、次に聞こえるのは少女の兄だろうか。少年の声が聞こえた。
「あっちにお化けがいたの、真っ黒な服を着た真っ黒な髪の男の人が!」
「お化けだって? そんなの、いるわけないだろう」
「本当だもん! 髪が長くて赤い目のお化けだった!それでね、両手に血まみれの包帯を巻いていて……」
「ははは、お前は怖がりだなあ。お化けが本当にいたら俺が退治してやるよ。で、どっちなんだ?」
「こっちだよ、お兄ちゃん!」
 再び、二人分の足音が近づいてくる。それと共に嫌な汗が流れ始める。
 早くここから逃げなければいけないと感じた時にはもう遅かった。
 逃げようとするより先にごつんと硬いものが頭に当たる。
「痛っ……!」
 鋭く痛む頭を押さえてうずくまると、目の前で茶色い胡桃の実がごろごろと転がった。
 それに続いて、冷たく柔らかいものが左のこめかみに当たって砕けた。
 顔を流れ、ぽたぽたとローブに落ちるそれは赤く、独特の青臭い匂いを放つ。
 どうやら私が投げつけられたものは熟れ切って崩れかけたトマトらしい。
 そして、それだけではなかった。
 再び飛んできた二つ目のトマトが左目の上で砕け、こめかみに直撃した二つ目の胡桃に私は呻き声を上げた。
 胡桃とトマトが飛んできた方向を見ると、二人の子供が建物の陰からこちらを覗いている。一人は先程の少女で、もう一人は少女より二歳ほど年上の少年だ。
「こら、危ないじゃないか」
 私は閉ざされた左目を押さえ、頭の痛みに顔をしかめたまま二人の子供に向けて叫んだ。
 トマトの赤い汁が目に入るせいだろうか。胡桃をまともに当てられたからだろうか。痛みのあまり目からは涙がじわじわと滲み始めた。
「それからだ、食べ物を粗末にするのはやめたほうがいい。こんなものを人に投げちゃ駄目だ」
 私は滲む涙を堪えながらあくまで平常を保っているかのように声を作る。
 ところが、子供たちには赤い汁まみれになった私の声に耳を傾ける余裕などなかったらしい。
「うわああああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
 兄妹は私の言葉をさえぎるように叫びながら一目散に逃げ出した。
 だが、私には彼らの後を追う気力などなく二人を見送るしかなかった。
 子供の足跡はだんだんと遠くなっていく。そして、建物越しに聞こえる雑踏にまぎれて聞こえなくなった。
 そうして、その場に再び私一人だけが取り残される。
 湖面に映る自分の姿を改めて見ると、トマトの汁でべたべたに汚れた髪はもつれて顔に貼り付き、見るも無惨だ。
 なるほど。こんな姿では子供も逃げ出すはずだ。赤い汁にまみれた顔はあまりに汚く、まるで怪物のようだ。
 何がおかしいのか。それさえ分からないまま私は空を仰ぐかのように首を反らしながら笑った。
 だが、その笑い声はあまりにもわざとらしい。この笑いは笑いたいわけでもないのに笑う者のそれだ。
 暫くすると私は笑うのが馬鹿馬鹿しくなり、再び俯いた。
 髪からは種を含むどろりとした汁が流れては地面に落ちていく。
 そうするうちに耳の奥で何かが潰れるかのような嫌な音が何度も響き、喉の奥が異様に引き攣り始めた。
 私は口の中にたまる唾液を飲み込んでは引き攣る喉で息を吸い込むのを繰り返す。
 だが、喉が詰まるせいで息を上手く吐き出すことができない。
 そのうちに再び滲み出す涙は、先程よりもずっと量を増していた。
 そして、気が付くと、私は嗚咽を押し殺すために歯をぎりぎりと噛み締めていた。
 何故声を噛み殺すのかというと、それは人に気付かれたくないからだ。
 だが、そもそもは泣くのをやめれば済む話だろう。それなのに、泣くのをやめようとすればするほど嗚咽は漏れ続けるばかりだ。
 泣いた顔ではとても人前には出られない。まず、それ以前にトマトの汁でべたべたに汚れている時点で人前に出るのは無理だろう。
 私は近くに自分の身長と同じくらいに茂った低木があるのを認めると、その茂みの中で身を隠すように膝を抱えた。
 この木はどうやら木苺らしい。近くの枝を手に取ると、赤や黒の粒々とした実が成っている。
 この小さな果実はかつて妹が好んでいたもののはずだ。妹は素朴な果物を好き好んでいたがが、中でもこの赤黒い実が好きだと言っていた覚えがある。
 動くたび棘がびっしりと付いた枝が身体を引っ掻くために身体のあちこちが痛んだが、今やそんなことも気にならなかった。それどころか、私はその痛みを歓迎すらしていた。
 手の届く範囲にある枝の中から、いっとう棘の多い枝を手に取ると、私は手の甲にそれを押し当てて横に引いた。
 棘で付けた傷からは、周りを囲む枝の果実と同じ色をした小さな玉が五つほど浮かんだ。
 妹は何故数多ある果物の中でも木苺を好き好んでいたのだろうか。それは今となっては本人に尋ねることなどできない。
 だが、彼女がこの血のような色の果実に惹かれた理由は何となく理解できるように思えた。
 再び枝を左手に押し当て、さらに新たな傷を作る。いくつもの傷から滲むのは、やはり赤い粒だった。
 この枝先に付いた果実は熟れると黒く変色する性質を持つらしい。鮮やかな赤色をした血も時間が経てば黒い木苺と同じように黒くなる。
 気が付くと、私は傷だらけの左手で枝についた果実を一つ引き千切っていた。
 改めて手に取った果実をまじまじと見つめる。
 その木苺は色だけでなく、形までもが血の玉にそっくりだった。
 私は手に取った果実を歯で強く噛み潰す。
 苺を咀嚼するたび口の中に広がるその味は舌を刺すように酸っぱく、それと同時にあまりにも渋かった。
 口の中に残る種を土の上に吐き出すと、先程よりもいっそう多く涙が溢れ出た。
 顔を左手で拭おうとすれば、先程ぶつけられたトマトの汁と混じる涙が容赦なく新たな傷を焼き始める。
 その痛みのあまり、私は身体を強張らせた。
 こんなことは分かっていたはずだ。傷を塩水にさらせば痛むだなんて子供だって知っている。
 だが、敢えて傷付いた手で涙を拭うのは「泣くのをやめろ」という戒めくらいにはなるだろう。
 それにしても、私は何故泣くのだろうか。どうしてこんなにも悲しくて仕方ないのだろうか。
 今しがた口にした木苺が甘くなかったからだろうか。
 子供に「お化け」と言われ、硬い胡桃と傷んだトマトを投げつけられたからだろうか。
 ギルドのトイレ内で、生徒たちに陰で「鬼教官」と呼ばれていることを知ってしまったからだろうか。
 それとも、常日頃からいくら注意しても生徒たちが講義中の私語をやめてくれないからだろうか。
 あるいは、家にもギルドにも私を待ってくれる者が誰もいないからだろうか。
 そんなことはいくら考えても分からない。分かりたくもない。考えれば考えるほどに孤独感が募るばかりで胸が張り裂けそうだ。
 ――――そんなに独りが嫌なら早く死ねばいい。昨日あのまま洗面所で血まみれで死ねば良かったのに。 
 その時、不意に昨日の洗面所で聞いた声が私の耳元で囁いた。
 その声を聞いた途端に背筋が凍りつき、指先が冷たく痺れ始める。
 やはり、こんな感情には気付くべきでなかったのだ。ないものだとしていた感情に気付くと、私はいつもおかしくなる。
 ――ほら、目の前に湖があるじゃないか。飛び込んでそのまま浮かんでこなければ簡単に死ねるだろう。どうせお前なんかに気付く奴なんて誰もいないのだから。水風船みたいに膨れた死骸になっても誰もお前を気になんてしないよ。
 私の耳の奥に棲みつく何かは、私が一番聞きたくない人の声を借りながら喋り続ける。
 どうしてこの声はいつも私へ死を促してくるのだろう。どうしていつも私の存在を貶めるのだろう。
 ――お前が孤独なのはお前が何の美点もない人間だからだ。生徒たちがお前の話を聞かないのは、お前の喋る言葉に何の意味もないからだ。不味い木苺を食ったのも、子供に腐ったトマトを投げられるのもお前のせいなんだ。全部お前が悪いんだ。
 私は分かり切っている。いつも聞こえる声が私自身のものだということを。
 私は自分を傷害せずにいられないほど自分自身が憎くて仕方ないのだ。その一方、私は自分自身にそこまで憎まれることがとてもつらい。
 私はもうこんな悪意に満ちた言葉は聞きたくない。自分を残酷な言葉で虐げることもしたくない。
 私はこれからも一人で自分を罵りながら生き続けなければいけないのか。もしそうなのだとすれば、それはとても耐えられない。耐えられないのに逃げられないとなると生き地獄に他ならない。
 そして、私はいつの間にか人の目を避けていたことも忘れて何かに取りつかれたかのように声を上げていた。
 耳の奥からは相変わらず声が聞こえ続けるが、今はもう何も聞きたくない。
 喉から漏れる激しい嗚咽が聴覚を埋め、耳の奥から聞こえる声を遮断することが分かるといっそう声を抑えることはできなくなっていった。
 激しい嘔吐を繰り返すかのように涙が溢れ、目を開けていることすらできない。
 やがて、私の意識はこの街から疎隔されて遠くなっていく。
 そうして散々泣き、私が漸く泣き止んだ頃にはもう既に辺りは薄暗くなっていた。
 もうすぐこの街に夜がやってくるのだ。それまでに帰らなければいけない。
 だが、どこへ帰ればいいのだろうか。私の帰りを待つ人なんて誰もいないというのに。
 それでも帰らなくては。帰った後には袖が血だらけになったシャツを洗わなくてはいけない。ガビガビに汚れた包帯を捨てて新しい包帯を巻き直さなくてはいけない。そして、この汚れた身体を洗わなくてはいけない。
 いくら独りだろうと、帰りを待つ人がいなかろうと、家に帰る理由ならいくつもあるのだ。
 茂みから這い出し、べっとりと顔に貼りつく髪を掻き上げて痛む目を見開くと、紫色に染まる夕暮れの街が現実のものとして差し迫った。
 私はそれがあまりに恐ろしく、どこか狭い場所へ逃げ込みたいという思いに駆られた。
 この街はあまりに広くて恐ろしい。あまりの恐怖に息が詰まり、倒れてしまいそうだ。
 ほら、やっぱり私は今すぐ帰らなくてはいけない。ここで動けなくなれば、私が帰れるのはいつになるだろう?
 幸いか、明日は休息の日だ。今日は暗く狭い部屋でシーツを被って傷だらけの身体を庇いながら眠ろう。明日も同じように身体を庇いながら死人のように眠ろう。
 そうして疲れ果てた身体を引きずって家に向かう間、急な吐き気に見舞われた私は湖の傍でやけに白く泡立った水っぽい吐瀉物を吐き戻した。
 そんな私を怪訝な目で見る者は何人もいたが、声をかけてくる者は誰一人としていなかった。
 
 
 普段の何倍もの距離に感じられる道を歩き続けて自宅に辿り着くと、私はその扉を固く閉ざして玄関の床に倒れ込んだ。
 冷たい床は私の身体から熱を奪っていく。せめて着替えなければならないが、私にはもう起き上がる気力がない。
 では、倒れたまま床を這いずろうかと思うが、それはそれで余計に大儀だ。
 私はあまりに失い、疲れすぎたのだ。昨日は大量の血を失ったばかりだというのに今日は散々汗をかいて、それに加えて嫌になるほど泣いて、道端で吐いて、昨日と今日とで一体どれだけの水を失ったのかなんて考えたくもない。
 せめて、泣き喚いていた時間を別のことに使っていればここまで消耗することもなかったのではないか。
 昨日もとてもくだらないことをしてしまったが、今日も失うばかりでくだらない一日だった。
 こんな時、家に誰かがいたならば立ち上がるのを助けてくれたかもしれない。
 だが、私にとってそれは夢のまた夢だ。
 ことごとく、私は一人なのだ。
 それを思うと、再び涙が滲み始めた。息が上手くできないせいで酸素が足らないのか頭が痛んでも、腫れた瞼や傷だらけの手の甲が塩水にさらされて傷んでも、それは全く戒めにならない。
 今日はギルドのトイレで生徒が私を「血も涙もない」と評するのを耳にしたが、この調子では本当に血も涙も完全に失ってしまいそうだ。
 だが、それも別に悪くはないかもしれない。
 顔を手で拭うのを諦めて仰向けになると、私は引き攣った顔で泣いたまま笑った。
 耳の横を水が伝い、天井はぐらぐらと不安定に揺らぐ。
 そのまま目を閉じると、床に身体が沈んでいくかのような感覚が私を包んだ。
 半分眠りに落ちかけながらも半分目覚めたままなのだろうか。私はそれが夢だと分かったままで生温かい液体の中に溺れていた。
 私は昨日もこんな風に洗面所で血に沈んでいたのだろう。そして、今日は涙に沈もうとしている。
 私が沈んでいくこの沼は一体どれだけ深いのだろうか。果たして、ここには底というものがあるのだろうか。それは全く分からない。
 そんなことに思いを巡らせるうち、朦朧とする意識の中で身体が軽い痙攣を起こしたのが分かった。
 それから程なくして、再び身体を突き上げるように二度目の痙攣が起こった。
 そして、私はそれっきり翌朝まで目を覚まさなかった。
 
 *おしまい*
 
 
 (おまけのようなもの)
 1.資料館では生前のグレースとレントンの関係についてはあんまり情報がないのですが、装飾品を贈るくらいなのでそれなりに仲は悪くなかったのかもしれません。グレースもグレースで兄から貰ったブローチを着けているくらいなので兄のことは決して嫌いだったわけではないような印象がありました。
 グレースが病んだ頃とレントンがギルドの助教授になった頃って一致しているっぽいし、レントンもギルドの業務が忙しくなってグレースと中々向き合えなかったんじゃないかと思ったり思わなかったり。
 
 2.資料館のグレースに関する情報では「兄レントンより贈られた、ルビナスのブローチ」という下りが一番精神的にキました。筆者はこういう遺品系の話にすごく弱い。このルビナスブローチ、持ち主が亡くなった後はどこに行ったんでしょう。形見として兄の手に再び渡ったのか、あるいは処分されてしまったのか。
 
 3.最初のところに出てくる「書物」の元ネタは『オナニスム』という実在する本。18世紀後半にフランスでティソという医師に書かれてイギリスで英訳されたものが出版された。近代の西洋では大学の講義中に眠気を誤魔化すため隠れて自慰行為をする学生がいて問題になっていたらしいですが、ノースティリスの学校でもそんなことはあるのかどうか。
 
 4.妹を亡くして四十路になったレントンは表面的には社会的な破綻はあんまりしてなさそうだけど生活的なところが破綻しかけてそう。手首、首隠し(意味深)って何なんでしょう。エーテル病なんでしょうか。
 
 
PR

グレーテルの人体錬成にっき3 | HOME | 暇を持て余したメイジギルドの生徒とギルド長の遊び

-Comment-

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

プロフィール

HN:
えりみそ
性別:
非公開

P R


忍者ブログ [PR]
template by repe