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資源ゴミ置き場

あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。

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王の運命-歴史を変えた八日間-を観た話。

 (まえがきのようなもの)
 この記事は、所在なさから書き殴った内容になります。
 いわゆる個人的なメモを兼ねた感想文みたいなものなので容赦なく映画のネタバレを書きます。
 映画本編を観ていないとだいたい意味が分からないかもしれません。



 3月の末はGyaO!で『王の運命-歴史を変えた八日間-』(原題:思悼)という映画を観ていました。
 作品情報はこちらをどうぞ。
 2月頃に映画の存在を知っていつか観たいなあと思っていたタイミングで配信されていたのを良い機会だと思いまして。
 日本では2016年に各地の映画館で上映されていたらしいです。
 この映画は李氏朝鮮時代に起こった壬午士禍という事件が題材になっています。
 壬午士禍というのは英祖時代、1762年に英祖が息子の思悼世子(荘献世子)を廃位して米櫃に閉じ込めてしまい8日後に餓死させるという何ともショッキングな内容の事件です。
 ちょうど去年の秋口から今年の2月にかけてはこの事件を題材にした『秘密の扉』というドラマもテレビで放送されていたんですよね。こちらも思悼世子が主人公として描かれていて、それから関心を持ったという。
 秘密の扉も王の運命も父と息子が対立して父が息子を死なせるというのは同じなんですが、どうも切り口が違う感じでした。
 秘密の扉は政治理念の衝突、王の運命は政治闘争の描写を控え目にして家族としての父子の葛藤やすれ違いの方に焦点を絞ったと言うべきか。
 秘密の扉の方は思悼世子が実現不可能な夢を見て手の混んだ自殺をする話だったとか言ってはいけない。あっちはきれいな思悼世子のifストーリーだと思う。

 Wikipediaなどで調べた感じ、この思悼世子という人物はどうも精神を病んでいたようで、服を着るのを病的に恐れたり服を燃やしたり自殺未遂したり人や動物を殺したりとかなりアカン状態の人だったっぽいです。
 何処までが事実なのかわからんのですが、宦官の首を刎ねて妻の前に首を持ってきたとか死ぬまでに100人以上宦官や女官を殺したとか何処かの三十六歌仙さんがかわいく思えるような話も出てきたよ。殺傷人数はあっちの元主の方が上だと思うけど。
 あと、絵を描くのが好きで鳥獣画や風景画などをたくさん描いていたとか。映画でも結婚したばかりの頃とか息子が生まれた時に犬や龍の絵を描いていましたね。
 Wikipediaの英語or韓国版の記事では妻の父に宛てた手紙の画像を見ることができるんですが、そのうちの一つには小さく花瓶に活けられた梅らしき花が描かれていて確かに絵がうめえと思いました。梅だけに
 現在は思悼世子が描いたと思われる犬の絵が2点残っているらしい。
 そのうち1つは無関心そうな顔の親犬に駆け寄る子犬2匹が描かれているんですが、その絵は父親に愛されない自分の境遇を投影したものではないかと言われているそうな。悲しい。
 絵の話についてはここから韓国語の色々な記事に飛ぶことができます。
 筆者は韓国語をミジンコほども理解できないんだけどね!グーグル翻訳先生ありがとうございます。
 いずれにせよ、重臣たちの党派争いも絡んでいて生前に父親との関係が悪かったことは事実のようです。この党派争いには英祖が65才の頃に迎えた二人目の王妃も加担して思悼世子を陥れたとか。こわい。
 父親の英祖は生まれの事情もあってか幼い頃から学問を重視していて息子にも学問をさせたかったみたいなんですが、息子の思悼世子は芸術家気質で堅苦しい学問は苦手だったらしいと。ここも映画の描写どおり。
 あと、世子は何でもよく食べて身体も大きく育って刀遊びや武芸も好きだったとか。だがしかしそれが英祖は気に入らない。
 武芸への才能についてはこの記事にて「15~16の時には力の強い兵士でも扱うのが難しい武器を自由に扱えた」という旨の記述があるのでかなりのものだったんじゃないかと。
 英祖は期待通りに育たない思悼世子を臣下の前で叱責したり非難したりつらく当たるようになり、世子は父親に激しい恐怖を抱くようになって関係が拗れていったという感じらしい。
 2007年には思悼世子本人が妻の父へ書いた自分の病状を告白する内容の手紙の写しが日本の東京大学から発見されているそうな。詳細はここ
 それを読んだ感じだと少なくとも18~19才くらいから鬱の症状に悩まされるようになっていたみたいですね。彼が患った病については火病(という朝鮮民族特有の文化依存症候群)や統合失調症や双極性障害など複数の説があるらしい。
 手紙で鬱の症状や息苦しさを「この症状は医官にも言えません」、「薬を煎じて人に知られぬよう送ってもらえないでしょうか」と書いている辺り、いつの時代もメンヘラはつらい。
 あとは「(数え年で)15才の春になったのにまだ一度も陵へ行って参拝していない」と父の英祖に対する不満を綴った手紙も見つかっている。
 調べてみた感じ、思悼世子は22才頃に大妃(彼にとっては義理の祖母)と王妃(彼にとって義母)が亡くなった後から病状が悪化していったようです。着衣恐怖が激しくなったのも殺人が始まったのもちょうどその頃からだと。
 史実の方では米櫃事件があったのと同じ年に3人目の側室が犠牲になっていたりするんですね。側室の存在全般は映画の方ではカットされていましたが。


 それから、英祖という王様は元々淑嬪崔氏(スクピン・チェシ)という身分が低い女官と父王の粛宗との間に生まれた王子で、生まれた時には既に王妃から生まれた兄(後の景宗)がいたとのことです。
 この景宗という王様は病弱で、王位について4年で薨去してしまいます。景宗の死は弟である英祖の策略だという噂もあるらしい。
 そうした背景もあって英祖は王位につくまで宮廷では肩身が狭い思いをしないといけない境遇だったらしい。いつ殺されるかも分からない状態だったと。
 ちなみに英祖が劇中で語っていた「粛宗が自害を命じた妻」というのは禧嬪張氏(ヒビン・チャンシ)という元賤民の王妃のことですね。彼女が景宗の母です。英祖の父世代もとってもややこしいね!
 英祖も英祖で不吉な言葉を聞くたびに耳を洗ったり自分の子供たちを偏愛したり邪険にしたりの落差が激しかったり中々アレな人だったっぽいです。この人もかなり病んでいたんじゃないかな。でもあんな王室で正気を保てという方が無理だと思う。
 でも、思悼世子は英祖が40才を過ぎてから生まれた待望の息子だったので世子が誕生した際には相当喜んだようで最初から彼を疎んじていたわけじゃないみたいです。
 英祖が思悼世子を何故死なせることになったのかというのは思悼世子が数々の非行を繰り返して謀反をも企てているという告発があったからのようです。ちなみに英祖へ思悼世子の謀反を告発したのは英祖の側室で思悼世子の実の母である暎嬪(ヨンビン)だったという。
 この時に暎嬪は息子を罰する代わりに孫のサンは助けてほしいとお願いしているんですね。
 思悼世子を罪人として処刑しようにも、賜薬で処刑してしまうと世子の息子であるサンも罪人として扱わないといけなくなって王の跡継ぎがいなくなってしまう。だから息子を廃位して米櫃に閉じ込めるしかなかったということらしい。
 思悼世子が廃位になった際のサンの処遇はというと、思悼世子が生まれる7年前に薨去していた英祖の長男である孝章世子の養子に入ることになります。重臣らがサンを「罪人の息子は王になれない」とピーチクパーチク言ったため既に亡くなっている伯父の養子にして重臣を黙らせたという感じです。
 英祖は思悼世子を殺してしまった後、廃位にした彼の身分を回復させるんですね。その時に「思悼世子」という諡を贈ります。思悼世子の諱こと本当の名前は「愃(ソン)」というのです。
 ちなみにこの思悼世子の息子は後に正祖という聖君として有名な王になります。日本でも『イ・サン』というドラマが放送されていて有名な人です。
 思悼世子が非業の死を遂げた14年後、王となったサンは即位式に集まった人々の前で「世は思悼世子の息子である」と宣言したそうです。


 で、ここからはちゃんとした映画本編の感想を書きたいですね。米櫃事件に至るまでの背景のメモだけでかなり容量を食ってしまったよ!
 結論から言うとこの映画、無料配信期間中に合計で3回観てしまいました。役者さんの演技と音楽が素晴らしかったからつい。
 というか、映画館でちゃんとお金払って観るべき映画だったと思う。
 映画の構成はというと、冒頭から思悼世子が米櫃に入れられて思悼世子自身や英祖などの色々な人々の過去の回想と米櫃の中での一日一日が交互に展開されていく形になっています。
 回想のパートでは思悼世子が生まれてから英祖との関係がすれ違って米櫃事件当日に至るまでの過程が描かれ、米櫃の中のパートの方では思悼世子が米櫃に閉じ込められてから飢えと渇きに苦しみながら衰弱して死に至るまでの過程が描かれているんですね。
 それ故に二重の意味でしんどい内容ではありました。SAN値はゴリゴリ減っていきます。ガラにもなく泣きました。
 情報を照らし合わせながら映画を観た感じ、残っている記録だけではわからない行間を現代の人間に理解しやすいよう補完しながら史実にはかなり忠実に構成されていたんだなあという印象です。
 ただ、儒教の教えとか朝鮮史とか予め勉強しておかないと分かりづらいところはあったかなあと。
 朝鮮史については高校で世界史Bを履修していた頃に齧ったきりだったからね!というか勉強していたはずなのに全然記憶にない。授業態度がゴミみたいな学生だったし。
 それでも王族に生まれてしまったがゆえの父子の悲劇として見ると心を深く抉られる映画でした。
 米櫃の中で「ただ一度、父上の温かい眼差しと優しい言葉が欲しかった」と泣きながら死んでいった思悼世子はとても哀れだけれど、英祖も父である以前に王でなければならない孤独な立場だったんだなと。
 この映画での英祖は王でなければならないと言いつつも、完璧ではない1人の人間として描かれていたなあという印象です。
 完璧でないから感情に任せて息子に嫌味を言ってしまうし、若い側室に縋ってしまうし、大妃に反抗してしまうし。結果としてはそれが息子を追い詰める方向に動いてしまった辺り愚かな父親だったと。
 劇中の英祖は事あるごと思悼世子に対して「お前のせいだ」という旨の言葉を吐くんですが、世子も鏡に写したように「どうせ全部俺のせいなんだろう」という言葉を吐くようになるのが痛ましい。
 

 それから特筆すべきは、思悼世子を演じているユ・アイン氏の演技が絶品だということです。
 実際、この映画での演技が高く評価されて15年の青龍映画賞の主演男優賞を受賞されたそうな。
 個人的に、この人の演技は目で語る感情がものすごく印象に残ります。あと、とてもいい声だと思う。
 劇中の思悼世子は様々な場面で涙を流すんですが、それまた場面ごとに複雑で繊細でそれらを挙げていたら枚挙に暇がありません。
 映画を観た後、気がつけばInstagramでユ・アイン氏のアカウントをフォローしていた辺り筆者もミーハーですわ。
 印象に残っている場面は色々とあるんですが、思悼世子が病み始めてからのパートが特に神がかり的だったと思います。
 世子が年を経るごとに父王との関係が悪化していく中、正気と狂気の狭間を揺らぐ姿をとても繊細に表現されていた印象です。
 劇中の思悼世子は狂人に身を落としたけれど、狂うに至るまでの感情の流れとか痛みに説得性を持たせないといけない。狂っている中でも根底に流れる感情を汲み取らないといけない。
 それを考えるとかなり繊細な演技が求められたと思います。でも、それらを見事に成し遂げられていたなあと。
 ただ狂っているだけだったら「狂っていたね(小並感)」で終わってしまいますから。
 そうはいっても、世子が狂乱するシーンは鬼気迫るものがありました。圧倒的なまでの激情に圧倒される感じでした。語彙力がダメ。
 冒頭で英祖に自害を命じられた世子が刀を重臣に奪われてもなお死のうと石畳に頭を叩きつけて自傷するシーンは本当に頭をぶつけていたらしいという話を聞いて震え上がりました。命を削って役を演じている感が半端ない。命はだいじにしてください。
 あと、6年遅れで実母の還暦祝いをする場面なんかはある種のグロテスクさを覚えるくらいだった。
 我が母上と叫んで笑うかと思ったら涙をぼろぼろこぼして道中の羽虫を相手に刀を振り回す不安定っぷりがとても痛ましく、そんな壊れてしまった息子を見る母の目がとても悲しかった。
 それから程なくして、狂った中でも自分の還暦祝いをしてくれた息子のことを王に告発して結果として死なせてしまう顛末を思うととても残酷。
 思悼世子と母のシーンは狂気の中でも母を慕おうとする姿がひたすら切なく思いました。世子が焦点の合わない虚ろな目で母を抱きしめるシーンとか。


 ただ一つ、よくわからないのが思悼世子が宮殿内の裏庭に墓穴を掘って棺桶の中で念仏歌を聴く行動を繰り返していたのはどう解釈するべきなのかということ。
 李氏朝鮮の宗教について調べた感じ、儒教が国教とされていて仏教は朝鮮国内では弾圧されていたようで僧侶も賤民扱いだったらしいんですね。
 その辺りを顧みるに、国の王子が仏教らしき宗教に傾倒するのはかなりアウトだったのかなと。劇中でも世子が関わった尼が処刑されていますし。
 自分が入る墓を掘って自ら棺桶に入る行為はそのまま死の願望の表れとして解釈するべきなんだろうかと。
 それとも、何をしても父に叱責される不徳な自分を穴に埋めたいという自己否定の表れと解釈するべきなのか。
 世子本人は墓について英祖に問い詰められた際に「父上が私を死人のように扱うので自分の墓を掘って棺桶を作らせました」と告白していましたが。
 あの行動が始まったのは大妃が亡くなって、それを英祖に「お前のせいだ」と責められてからのことだったのを考えるとあれが思悼世子の心を折る決定的な出来事だったのかなと。


 何はともあれ、そんな狂気パートがあるからこそ、思悼世子が妻を娶ったばかりのサンを前に空に弓を撃ちながら夫婦のあるべき姿を語って穏やかに微笑むシーンが印象に残るものです。
 「夫婦というものは些細な礼法に縛られず、互いの過ちを庇い合い、愛し合う…(うろ覚え)」と語る辺り、自分もそういう夫婦でいたかったという願いが滲んでいて切ない。彼が婚姻をした時には妻にはひたすら礼法というものが教え込まれるような状態でしたからね。
 この場面ではサンが父に学問が好きかと尋ねられて「はい。祖父が喜ぶので」と答えた後に「私もそんな自分が嫌いです」とこぼすのが印象的でした。
 父王の期待に応えられず期待通りの息子を諦めて自暴自棄になってしまった父の姿を鏡に写したような言葉だと思う。父と違って祖父の期待通りに育っているはずのサンから「自分が嫌いです」という言葉が出てくるというのがまた。
 英祖も英祖でサンの目の前でサンの父親をボロクソに貶すあたりどうかしていると思う。
 劇中の思悼世子はこの時点では病がかなり進んでしまっているけれども、実母の還暦祝いをする場面やこの場面を見るに本来の思悼世子は至って純朴な人だったんだろうなと。そこは子供の頃から変わっていない。
 その純朴さゆえに父に疎まれる悲しみや絶望も真正面から受け止めて壊れるに至ってしまったのだろうかと。
 それはともかく。史実ではサンが婚姻をしたのは1762年のことなので、このやり取りがあったその年に父は壬午士禍で命を落とすことになるのです。
 総じて、サンの存在は狂いゆく思悼世子にとって最後の理性、最後の砦のような立ち位置だったと思います。
 米櫃に入れられて6日後、衰弱がかなり進んでまともに喋ることもできなくなりつつある父に妻と共に水を持ってきたサンの悲痛な叫びがものすごく痛ましくて耳に残ります。


 それから、思悼世子とサンを繋ぐものといったら劇中ではサンが生まれた時に世子が描いた龍の絵の扇が出てくるんですが、この扇も米櫃に一緒に入れられているんですね。
 思悼世子は米櫃の中で喉の渇きに耐えきれず自分の尿を受けて飲むのにこの扇を使ってしまうんですが、世子が我に返って扇の絵をじっと見つめる場面からサンが生まれた日の回想に移る構成になっているのがまた。
 ちなみに、史実の方でも8日後に思悼世子の死亡が確認された際には扇で尿を受けて飲んだ痕跡があったようです。閉じ込められたのは7月の暑い日だったのでそれほどに苦しかったのでしょうか。
 この場面で思悼世子が自分のしたことを悔やむように扇で顔を覆って号泣する姿は見るたびに胸が潰れそうでした。
 米櫃に入れられる前に英祖へ「子も孫も皆殺せばいいだろう、独りで千年でも万年でも君臨すればいい」と泣き喚いていた思悼世子が、サンに贈るつもりだった扇を見て我に返るこのシーンは世子のサンに対する思いの全てを象徴しているように思う。
 この扇は思悼世子が息絶えた時には壊れてボロボロになってしまうけれども、それでもその後に直されて王位についたサンの手に渡りました。
 この映画は王になったサン(正祖)が母の還暦祝いの場で父の形見の扇を手に舞うシーンで締めくくられるんですが、舞の途中に扇で顔を覆う正祖の姿が扇で顔を覆って号泣した思悼世子の姿と重なるシーンは筆舌に尽くしがたいものがありました。
 ここは美しい音楽も相まって深く余韻を残すシーンでした。


 ……徒然に感想を書き連ねていたら案の定かなり長くなりましたね。もしここまで読んだという方がいましたら最後までお付き合いいただきありがとうございました。
 次はアタック・オブ・ザ・キラー・トマトとかショーン・オブ・ザ・デッドとか観たい。死霊の盆踊りは勘弁してください。


 *ひとまずおしまい*

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