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資源ゴミ置き場

あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。

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水と芸術の街に赤い花を(前半)

 
 (まえがきのような何か)
 この文章はイルヴァ資料館(など)で明らかにされていたレントンとグレースさんの設定を元に書いていたものでした。
 何かどうも色々なところでまどマギの影響を受けている感が否めない。
 語り手はまたしてもレントン教授。それからおはながいっぱいでてくるよ。
 文中にはややグロテスクな表現を含むので閲覧はご注意ください。特に後半はだいぶグロテスクな表現が増えているのでなおのことご注意ください。あと、レヴラスさんがすごくうるさい&口が悪い。
 (2014年9月20日追記)
 文章を少し改造しました。レヴラスとレントンのやり取りがかなりえぐくなっている。
 (2016年2月2日追記)
 更に改造しました。
 

  
 私は目の前に咲く赤い花を、遥か昔にどこかで見た覚えがあった。
 その花は葉を持たない茎だけが地面から伸びており、赤くて細い花弁と花糸が放射状に広がって車輪のようとも血飛沫のようとも言える独特の形を構成している。
 その花が「死人花」や「幽霊花」、「地獄花」といった、いかにも不吉な異名をいくつも持つと私が知ったのは魔術士ギルドにある書斎で薬草に関する書物を読んだ時のことだった。
 その書物によれば、死臭の漂う異名をいくつも背負わされたこの植物は毒を持つためネズミ除けに利用されていたようである。そして、人がこの植物を口にした場合は嘔吐や下痢を引き起こし、最悪の場合は死に至ることもあるという。
 その一方、この毒は長時間にわたって水にさらせば水に溶け出してしまうので飢饉時には水で解毒した球根を食して多くの人が餓死を免れたようだ。
 私は今、この美しくも奇妙な形の花が一面に咲き乱れる地に一人立ち尽くしていた。
 私が今いるこの場所は此岸なのだろうか。それとも此岸のまた向こうにある地なのか――――。
 
 
 重い瞼を開くと、私は白いシーツの上に枕を抱いて横たわっていた。
 窓の外では小鳥がさえずり、朝日が部屋を照らしている。
 そうだ。私は眠っていたのだ。先程まで私が見ていたものは夢だったのだ。
 それにしても、奇妙な夢を見たものだ。あの夢には一体何の意味があるというのだろう。
 ぼんやりとした頭で寝床を出た私はスリッパを履いて洗面所へと向かう。
 そして、いつものように歯を磨いて髪を梳き、顔を洗って洗面所を後にした。
 台所に行くと、見慣れた顔の少女が朝食の準備をしていた。彼女は六つ歳の離れた妹だ。
「兄さん、おはよう」
 妹は私を見ると優しく微笑んだ。
「ああ、おはよう。グレース」
 私もまた、妹へと微笑みかける。
 テーブルに目をやると、その上にはこんがり焼けたパンとトマトサラダの皿が置いてある。
「兄さんが起きるの、準備して待っていたわ。朝ご飯にしましょう」
 グレースはにっこりと微笑んだまま、椅子に座った。
 そして、私もそれに続いて妹の斜め前の椅子へと腰をかけた。
 食前の祈りを終えると、私はふとサラダの皿へ目をやった。これはグレースが作ったようだ。
 私がサラダへ手を付けたことに気付くと、彼女はやや慌てたような顔を見せた。
「あ、あのね。そのサラダ、私が作ったんだけど上手くトマトが切れなくて……いびつな形になっちゃって。いくつかは潰れちゃったからごめんね……」
 確かによく見ると、皿の上で切り分けられたトマトはいささかいびつな形をしていて潰れているものもある。
 いびつに潰れたトマトからは、慣れない手つきでトマトを切ろうと頑張る妹の姿が容易に想像できた。
「いやいや、謝らなくてもいいよ」
「でも……」
 グレースはしょんぼりとした顔で俯く。そんな彼女へ、私はトマトを咀嚼して飲み込みながら微笑んだ。
「グレース、失敗したとしても今回は確かに頑張ったのだろう? 今回は失敗してもこれから上手くなっていけばいいんだ。確かにトマトは潰れているが、味はとても美味しいよ」
 そう諭す私の声は、自分自身でも驚くほどに優しかった。
 私は、これまで妹にこんな優しい声で語りかけたことがあっただろうか。あったとすれば、最後にこんな声で語りかけたのはいつだったのか。
 ふと、そんな疑問が頭をよぎった。
「……ふふ、そうね。兄さんの言う通りね」
 グレースの顔もまた私と同じくほころんでいく。
 そんな彼女の笑顔を前にすると、先程の疑問などどうでもいいことだった。
 これからはもっと、グレースとこんな風に話をしよう。もっと話を聞いてやろう。
 そんな決意が、私の中では芽生えていた。
 そうして、私と妹は談笑しながらの朝食を楽しんでいたのだった。
 
 
 ギルドでの講義を終えて自宅へ戻った頃には夕方になっていた。
 私は玄関に入ると、そっと扉を閉めた。
 部屋ではグレースが絵を描いているようで、こんこんと筆を動かす音が聞こえてくる。
 私はその音をやけに懐かしいものに感じた。毎日聞いているはずなのにどうしたことなのか。
 私は何か大事なことを忘れているような気がする。
 だが、それは気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
 私は首を振ると、脱いだコートをハンガーにかけて壁に下げた。
 やはり、何か「気のせい」では片付けられないことを忘れているような違和感がどこかにある。
 それが思い過ごしであるなら全く構わないのだが、心の隅にぼんやりとした不安が渦巻いているようだ。
 私が「忘れていること」というのは早く思い出さなくてはいけないことなのではないか。
 いや、今日は大講義室での講義を行ったから疲れているのだろうか。疲れていると全くろくなことを考えないものだ。
 先程まで着ていたコートの裾の縁に施されている刺繍をぼんやり見つめていると、不意にグレースのいる部屋の扉が開いた。
「兄さん……? 帰っていたの? おかえりなさい」
 その声は、思考の中をさ迷っていた私を再び現実へと引き戻した。
「……ああ。ただいま。今帰ってきたところだよ」
 ペインティングナイフを片手に持ったままの妹へ私は微笑んだ。
「あのね、兄さん」
 グレースが再び口を開く。
「ん、どうしたんだ?」
「今日の朝から描いていた絵が完成して乾かしているところなんだけど、ちょっと兄さんに見てほしいなって……」
「ああ、いいぞ。乾かしている途中なのに大丈夫なのか?」
「うん。触らなければ大丈夫。もし触ったら絵具が指に付いて取れなくなっちゃうわ」
 そう言いながら笑うグレースの両手は様々な色の絵具で汚れている。
 私はグレースに続き、そっと彼女の部屋へと足を踏み入れた。
「この絵なんだけど、兄さんから見てどうかな」
 グレースの指差すカンバスには赤い色の丸い果物と、それより少し黒い果物が二つ描かれている。
「これは何ていう果物なのかな」
 私は尋ねた。
「これはね、『ラズベリー』と『ブラックベリー』いう花の実。机の上にあるそれ」
 妹の指差す方へ目をやると、絵に描かれた果実と同じ形の小さな実が机の上に三つ置かれている。
 それらの果実は指でつまむ程度の大きさしかない。これを大きく描くのは私が思っているより難しいはずだ。
「おお……この赤いのがラズベリーで、黒いのがブラックベリーというのか。こんな実、どこで成っていたんだ?」
「家の近くにたくさん生えていたのを取ってきたの」
「そうか。こんな小さい実なのによく頑張ったな」
「ふふ、お世辞はやめてちょうだい。あ、そうそう。ラズベリーとブラックベリー、たくさん採ってきたから台所で洗っているの。ジャムにしたりパイを作ったりして、それで、パイはわたしと兄さんとで半分こにしましょう」
 妹は照れくさそうに笑いながら台所のある方向を指差した。
 ――ああ、そうだ。私はこの笑顔が「もう一度」見たかったのだ。
 ギルドでの業務を終えて妹との時間を過ごす。これは、私がかつて夢見た理想の日常だったのだ。
 それが手に入った今、私が「幸せ」だと感じていたことは確かなことだった。
 
 
 それは妹との生活を送る日々が一ヶ月ほど続いていた頃だった。
 その日の私は講義を行うため、魔術士ギルド内の講義室へ足を踏み入れた。
 それから程なくして、講義の始まりを知らせるベルが室内に鳴り響く。
「今から今日の講義を始める。くれぐれも講義中の私語や飲食は慎むように」
 壇上から前方の生徒たちへ呼びかけると、私はいつものように喋り始めた。
 講義を始めてからどれくらいの時間が経ったのか。壇上で喋り続ける私の声に混じって私語をする生徒の小さく囁くような声が聞こえ、いびきまでもが微かながらも聞こえ始めた。
 どうしても講義というものは生徒たちにとって退屈らしい。それ故に居眠りや私語をする者が出るのは避けられないようだ。私自身、講義を受ける側の人間だった頃は講義に退屈して眠ることは幾度かあったはずだ。
 かつて、助教授として教壇に立つ側となったばかりの頃の私は生徒が退屈しない講義をいかに行うか、いかに生徒の立場に寄り添う講義を行うかと心を砕いていたような覚えがある。だが、いつしか私はそれを諦めてしまったのだ。
 いつだっただろう。私が教壇に立つ者としての努力を諦めてしまったのは。
 果たして、講師とはただひたすら退屈し続ける生徒たちを前にそんなものだと諦めながらただ一方的に喋り続ける存在でいいのだろうか。
 教壇という舞台の上で相手が自分の話を真面目に聴いていないことを知りながらも、だからといってどうすることもできず一方的に喋り続けるだけの存在になりたいなんて過去の私は思っていなかったはずだ。
 もしかすると、私という人間は所詮講義室という空間を構成する舞台装置の一つでしかないのかもしれない。舞台装置であるという点は生徒たちも私と同じだ。
 つまり、この舞台を構成するものとしての講師役は必ずしも私である必要などない。
 それにしても、講義室という空間は途方もない魔力に満ちている。足を踏み入れた人間を片っ端から舞台装置として取り込んでそれぞれの役割を強いてくるのだから。
 舞台を操っているのは決して私ではない。そして、生徒たちでもない。敢えて言うとすれば「講義室」自体が強大な魔物のように私たちを現実から疎隔して舞台装置たらしめているのだろう。
 私はとことん無力だ。そして、生徒たちもまた無力である。
 生徒たちに見えるよう黒板に魔法の呪文を白墨で書き殴ると、私は振り返って生徒たちへ目をやった。
 彼らは相変わらずだ。やはり、そんなに私の講義はつまらないだろうか。
 その時だった。講義室の様子がおかしいことに私が気付いたのは。
 講義室にいる生徒たちは皆一様にのっぺらぼうだ。その様子はまるで人形が並んでいるかのようで非常に不気味でもある。
 そして、窓の方に目をやると外の風景も歪んでいる。
 先程までこの生徒たちは皆「顔」を持っていたはずなのに、それが突然無くなるだなんて一体どうしたことか。
 ふと床に視線を落とすと、床もまた液体のように揺らいで波打っていた。
 これは何なのだろうか。目に見えるもの全てが変な風に見えるほど私は疲れているのだろうか。
 何かに縋るように、私は古びた懐中時計へ目をやった。
 ――時計の針は正しく動いている。そうだ。間もなく講義を終える時間だ。
 これで私たちはこの苦痛に満ちた舞台から降りることができる。
 もし、講義というものに終了時刻がなければ私たちは永遠の絶望ともいえる舞台に閉じ込められたままも同然だ。舞台装置として永遠に続く無力感を噛み締め続けなければいけないだなんて恐ろしい話だろう。
「これで、今日の講義を終わりにする」
 私が壇上から叫ぶと、舞台装置の生徒たちはそれぞれが蜘蛛の子のようにバラバラに散っていった。
 再び生徒たちに目をやると、彼らはそれぞれの顔を持ち、全くもってのっぺらぼうなどではなかった。
 ――――先程のは何だったのだろう。きっと疲れているのだ。
 これからは終演を迎えた舞台の後始末をしなければいけない。それが私の役割なのだから。
 解体されていく舞台装置の中、私は一息ついて伸びをした。
 
 
 講義の後片付けを終わらせた後、私は街に出ていた。
 この街は相変わらず吟遊詩人と芸術家で賑わっている。そして、至るところに女神の石像が立っている。
 空は不気味なほどに青く、雲一つない。ただただ青だけが私の頭上を埋め尽くしているのである。
 そして、一面の青にぽつんと開いた穴のように黒い太陽が光を放っている。
 思わず手で右目を押さえると、私はそのまま空から視線を外した。
 太陽の光はまるで眼球を突き刺すようで、長く見つめてはいられない。
 だが、かつて太陽を見ていてここまで目が痛むことはあっただろうか。まるで文字通り眼球を刺されたかのようで、ずきずきと脈打つような痛みに涙まで出る始末だ。
 もう私もいい歳をしている。そろそろ身体にもがたが来る頃なのだろうか。
 視力を失ってしまえばこの目に映る世界をも失うことになってしまう。
 私は、出来ることならこの世界を失いたくない。
 そこで、ふと目を押さえていた右手に目をやると、その指の隙間は赤く染まっていた。
 ――これは一体何だ。何故目から血が出てくるのだ。
 驚きながら、止めどなくこぼれる涙を左手で拭うと、それもまた右手の指に絡む色と同じだった。
 そうするうちにも、血は両目からぽたぽたと落ちて地面に赤い斑点を作り続けている。
 視界が塗り潰されようとする中、私は近くにあった建物の窓へと縋りついて助けを求めた。
 窓には叫ぶ私の顔が映っている。だが、視界が赤に侵食され出しているせいなのか、その顔は顎から上が見えなくなっていた。
 ガラス窓の向こうに人はいるのかいないのか。それすらも分からない。
「誰か助けてくれ!! 助けて……っ!」
 叫び続けるうち、私は不意にひどく咳き込んだ。その時、鼻と喉から血が噴き出したのが分かった。
 今や、私は両目からだけでなく顔中の穴という穴から血を垂れ流しているのだろう。
 間もなく、この目にはもう何も映らなくなる。この喉からはもう声は出なくなる。
 再び咳き込むと、窓に赤い血が飛び散った。
 それにしても、これだけ叫び続けているのに何故誰も助けを求める私に気付かないのか。
 普通ならば、路上で顔から血を流して助けを求める人間がいれば野次馬の一人や二人くらい来てもいいはずだ。
 私はそのまま街の隅に倒れ込み、顔から地面に叩きつけられた。
 私が倒れてもなお、血は顔から止めどなく流れて地面を赤く染め続けていた。
 意識が途絶える直前、視界の隅にごろごろと転がる球状のものが見えたが、それが何かは分からなかった。
 
 
 目を覚ますと、私は真っ白なベッドの上に寝かされていた。
 身体を起こして辺りを見回すと、部屋は天井も壁も真っ白だ。
 そして、先程まで寝ていたベッドの縁には転落防止のためなのか真っ白な柵が取り付けられている。
 その様子からして、この部屋は病室なのだろうか。
 その時だった。部屋中に奇妙な音が響き続けていることに私が気付いたのは。
 その音は耳鳴りの音ととても似ているが、まるで心臓の鼓動のように拍子を刻み続けている。
 やがて、その音は拍子を刻むのを止めて延々と連続する耳鳴りのような音へと変わった。
 この音は一体何なのだろうか。できれば長く聞いていたくない非常に不愉快な音だ。
 何故なら、この音を聞き続けていると何か思い出したくないものを思い出してしまいそうだからだ。
 ――思えば、この「思い出したくないもの」とは一体何なのだろうか。私は一体何に怯えているというのだろうか。
 私はそれを思い出さなくてはならないと考えている。だが、その反面で思い出すことを拒絶し続けている。
 いつだったか、魔術士ギルドの講義を終えて自宅へ戻った時に襲ってきたぼんやりとした不安もこの「思い出したくないもの」に由来するものだったのではないか。
 暫くベッドの縁に座って茫然としていると、扉の開く音が耳鳴りを遮った。
「……兄さん?」
 聞き慣れた細い声に振り返ると、そこには真っ白な花束を抱えた妹が立っていた。
 長い裾の真っ黒なドレス。顔を覆うための黒いベールが付いた帽子。両手にはめられた黒いレースの手袋。
 その姿はまるで喪服のようだ。いや、喪服そのものだと言っていい。
「グレース……?」
 私は妹の名を呼んだ。その声は、声の主である私自身も驚くほど虚ろだ。
「兄さん……」
 私を呼ぶグレースの声はとても悲しげだ。そして、その目には僅かに涙が滲んでいる。
「グレース、一体ここはどこなんだ。そして、どうして喪服を着ているんだ。それから、どうして泣くんだ」
 私は状況が飲み込めず、次々にまくし立てた。
「兄さん。今日は、とても大切な人を送る日なの。だから……」
 大切な人を送る日。それが何を意味するかはすぐに理解できた。
 だが、私はまだ混乱したままだった。
「送る……? 誰を送るのか、一体誰が死んだのか教えてくれないか、教えてくれ」
 私が尋ねても、グレースはただ首を横に振るだけで何も言わない。
 そして、彼女はその手にもつ花束を私へ手渡したのだ。
 一体どういうことなのか。どうして妹は花束を私に渡すのか。
「グレース、これは一体どういうことなんだ……?」
「これは『ネリネ』の花。違う国では『ダイヤモンドリリー』とも言うの」
 私の問いに、グレースはただ淡々と答えた。
 そして、彼女はまるで楽しげに踊るかのようにくるりと背中を向けた。
「あのね、兄さん。この花には『幸せな思い出』という意味があるんだって。わたし、とても幸せだった。本当に、本当にありがとう……」
「グレース、待ってくれ。私の質問に答えていないじゃないか。お願いだ、行かないでくれ。まだ行くな。私の傍にいてくれ」
 私は部屋を出て行こうとする妹を引きとめようと手を伸ばすが、何故か腰に力が入らず立ち上がれない。
 私の叫びに、グレースはただ一度だけ振り返った。
 そして、最後に微笑みながら言ったのだ。
「また会えるのなら、どうかその日を楽しみにしていて」
 と。
 白い扉が重い音を立てて閉まる。妹の足音が遠くに消えていく。
 そうして、真っ白な部屋には私とネリネの花束だけが残された。
 手の中に残る花束へと目をやる。
 この花はどうやらいくつもの花が集まって一輪の花を構成しているようだ。
 そして、「ダイヤモンドリリー」という異名に相応しく一枚一枚の花弁が光に透けて輝いている。
 暫くすると、グレースが残していったネリネの花は全て萎れて真っ白な灰になり、指の隙間をすり抜けていってしまった。
 そうだ。今になって思い出した。
 私の妹――グレースはもうこの世の人ではないのだ。
 今までの妹との楽しかった日々は私の絵空事にすぎなかったのだろう。
 それから、この世界にはどうも腑に落ちないことがある。少し考えてみれば矛盾に満ちているのではないか。とにかく、何かがおかしい。
 何かがおかしいというよりは、忘れたままのことがまだあるのではないか。
 そもそも、ここは一体どこなのか。それすらも分からないままではどうしようもない。
 私はやけに静かな胸に手を当て、息を吐いた。
 さて、一体何から思い出そうか。
 まず、私が今までこの世界で一緒に暮らした妹の存在は確かなことだ。妹の名はグレース。彼女は私が六歳になろうという頃に生まれたのだ。
 目を閉じると、ゆりかごの中で眠る妹の顔を丸い目で覗き込む幼い私の姿が見えた。
 幼い日、妹と絨毯に寝そべって画用紙に絵を描いて遊んでいた時間はとても楽しかった。
 それから、いつの日だったか。半分こにしようと妹に手渡された赤黒いベリージャムのパイがとても美味しかったことを覚えている。
 だが、妹は何故私より先に死んでしまったのか。
 そこで視界が開け、棺に納められた妹を感情のこもらない目で覗き込む青年の私が見えた。
 そうだ。妹が物言わぬただの肉塊になってしまったのは――――――。
 気がつくと、私は発作的に立ち上がり、頭を壁に打ち付けていた。
 何度も頭を叩きつけ、眩暈に襲われたところで私は床にへたり込んで頭を抱え込んだ。
 これ以上は駄目だ。妹の死にまつわる出来事を思い出してしまえば私は自我が保てなくなるだろう。
 次は妹ではなく私自身のことについて思い出そう。
 私が住んでいた、吟遊詩人と芸術家で賑わう水と芸術の都は何という名前の場所だったのか。
 私はその街のギルドで講師をしていたはずだが、いつから私は講師をしていて何を教えていたのだろうか。
 私は一体何という名前を名乗っていたのか。そして、今の私は何歳だったのか。
 そうして思考を巡らせるうち、私は恐ろしい事実に気付いたのである。
 それは、私が自分の年齢、それに加えて自分の名前すら思い出せなくなっていることだ。
 今の私が思い出せることは六歳年下の妹が「グレース」という名前だったこと、絵を描くのが大好きだった妹がもう既に故人であるということだけだった。
 ベッドの脇にある小型テーブルに目をやると、その上には一つの花瓶が置かれていた。
 いつの間にこの花瓶はあったのか。花瓶にはほつれた錆色の包帯が巻きつけられている。そこに活けられているのは四枚の白くて丸い花弁をつけた花だ。確かこの花は「芥子」と呼ばれるものだったか。
 その白い花からは奇妙な匂いがした。
 その匂いは私から一つずつ記憶を奪っていく。
 そして、その傍には一枚の紙が置かれていた。
 縋るようにしてその紙切れへと目をやる。
 ――全てを忘れて安らかに眠れ。忘却の花と共に。
 紙切れにはこのような意味の言葉が、これまで見たことのない言語で書かれていた。
 何故見たことのない言語で書かれた文を読めたのか、そもそもこの文を書いたのは誰なのか、そんな疑問が湧いたが、それよりも私は憤慨せずにいられなかった。
 ふざけないでくれ。全てを忘れてここで眠り続けろというのか。私はそんなことなど望んでいない。
 まずはこの不気味な病室を出ていかなければ。そうしなければ本当に何もかもを忘れて永遠にこの部屋から出られなくなりそうだ。
 先程グレースが通った扉に駆け寄り、扉を開こうとするが全く開く気配はない。
「誰かここを開けてくれ……! ここから出してくれ!!」
 叫びながら扉を何度も殴りつけ、更には足で何度も蹴り続けるが、扉はびくともしない。扉の外を人が通る気配もない。
 そうするうちに両手足が重く痛み始め、疲れ果てた私はその場にへたり込んだ。
 扉からの脱出は無理らしい。それでも早く逃げなければ。
 ふと後ろを振り返ると、部屋に一つの窓があることに気付いた。
 再び立ち上がり、その窓を開く。
 私がいる部屋は一体何階なのか。窓の外を見下ろすと、地上が遠くに見えた。
 ここから飛び降りればまず助からないだろう。だが、他にどんな手段があるというのか。
 私は窓枠の上に立つと、左胸の辺りをぎゅうと強く握りしめた。
 その手のひらの中には、本来胸に手を当てたならばあるべきものがない。
 息を吸えば確かに胸は膨らむ。だが、それだけでは足りないはずだ。
 手の中に足りないものを考えるうち、背後からひたひたと絶望が押し寄せるのが分かった。
 この絶望の理由は考えればすぐに分かるはずだ。わざわざ手がかりを探す必要すらない。答えはこの身体が知っているのだから。
 でも、私はこの身の欠落をまだ認めたくない。どうか、今はまだ逃避させてほしい。
 私はそう願い、白い部屋から逃げるように身体を空中へ倒したのだった。 
    
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