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資源ゴミ置き場

あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。

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解離。

 この文章はUBOK.のEric.さんのねつ造っぽい話です。
 例によってやや不味い表現を含むのでご注意ください。例えば飲血とか。
 夢を。との永付きさんとの関係とかはあくまで私個人の印象に基づいた解釈に過ぎないので話半分以下として捉えていただけたらこれ幸い至極です。
 どうでもいいですが、牛乳って味の濁り方が血液に似ているような気がします。
 というか乳って元々血液だから当たり前ですね…。
 
 (2014年5月19日追記)
 ところどころを加筆しました。整いません。
 

  
 
 
 それは二限目の講義のため大教室へ向かっていた時のことだった。
 「ねえねえ、『  』君だよね?」
 背後から女の黄色い声が聞こえてくる。それは聞き覚えのある声だ。
 声に振り返ると、明るい茶色のボブヘアーに淡い色のワンピースの女が立っていた。
 その時、僕はいささかげんなりした気持ちになった。「また」だろうか。
「何?」
 だが、それを顔に出さないように表情を作りながら応える。
 それに対して、女は甘えるような声で言った。
「あのね。次の授業、サークルの大事な用事で出られないから代返しておいてくれないかなぁ」
 やはり「また」だ。これで一体何度目なんだろうか。
「またなの? 大学に来ているんだから授業に出られないの?」
 断りたい。だが、はっきりと断ることができない。
「今日は大事な用事なの、本当にお願い!」
 彼女のその口ぶりに、僕の心はいともたやすく折れてしまう。
「別にいいけれど……」
 口が勝手に動く。本当は「嫌だ」と言いたいのだが、それができない。
 彼女と知り合ったのは、確か一年生の頃にしていたサークル活動だったはずだ。
 何がきっかけになったのかは分からないが、僕はいつの間にか彼女をはじめとする級友に都合のいい人間として扱われるようになっていた。
 彼らは自分たちにとって都合のいい時にだけ「友達なのだからいいだろう」という言葉を振りかざしてくるが、それが社交辞令のような言葉だということを分かっていても僕は「嫌」が言えない。
 僕は彼らに優柔不断である面を見抜かれて利用されているのだろうか。
 ――うそばっかり。
 彼女の背中に向けて、僕は「嫌だ」と口にする代わりに心の中で悪態を吐く。
 僕は知っている。彼女は別に授業に出ることができないほどに忙しいわけでなくただ単に授業が面倒くさいだけだということを。
 僕は知っている。次の週には彼女がノートを貸してくれと頼んでくるだろうということを。
 そして、僕はそんな彼女の頼みを断ることができないだろう。
 僕は級友の扱いに理不尽を感じているが、それよりも断れない自分が腹立たしくて仕方ない。
 大教室に着くと、僕は机に突っ伏した。
 授業開始を知らせるベルが鳴り響いたのはそれから暫く経ってからのことだった。
 
 
 それは次の週の朝だった。
 寝床から起きようとすると、身体が何となくだるい。風邪でも引いてしまったのだろうか。
 そんなことを思いながら枕元の携帯電話に目をやると一通のメールが届いていた。
 ――ごめん、今日は四限の授業に出られないの。代返しといて!
 またか。よりによってどうして僕なのか。
 液晶画面に浮かぶ無機質な文字を見ると、僕はまたしてもげんなりとさせられた。
 メールの送り主が誰かなどどうでもよかった。ただ、僕はうんざりしていた。
 それなのに、右手は自分の本心に反する言葉を綴っていた。
 ――わかった、いいよ。と。
 言葉で約束した以上はそれを果たさなければならない。そのためにも僕はすぐに大学へ向かう準備をしなければならない。
 僕は大学へ向かう準備を終えると、鞄を片手に重たい足取りで玄関の扉を開けた。
 だが、その日はやはり体調が悪いせいか講義の内容も頭に入ってこなかった。
 頭が重苦しく、壇上に立って喋る教授の言葉がまるで外国語のように聞こえる。
 教授は確かに僕の理解できる言語で喋っているはずだ。それなのにそれがただの音に聞こえて気持ち悪い。
 ノートには板書を書き写していくが、それもまたただの線の塊のように見えた。
 やはり今日の僕はとても体調が悪いのではないか。これなら休んだ方がよかったのではないか。
 僕は、ただ級友の代返をするためだけに身体を引きずって大学に出てきた自分が至極情けない人間に思えて仕方なかった。
 自分の出席カードに文字を書くのも辛いのに、他人の出席カードなんて文字を書いていられない。
 結局その日の僕は、級友の出席カードを白紙のまま提出してしまったのだった。
 ――うそばっかり。
 授業を終えて教室を出たその時、どこからか誰かの声が聞こえた気がした。
 
 
 その日の帰り道、僕は横断歩道で信号が青に変わるのを待っていた。
 空を見上げると、淡い紫色やオレンジ色に染まった雲が風に流されていくのが見えた。
 どこからか、風に乗って青草の匂いが漂ってくる。僕の目の前では小さな黒い羽虫が舞っている。
 この青草の匂いはいつの日か空き地から漂ってきた匂いと同じだ。そして、僕の周りを黒く小さな羽虫が舞っているのもその時と同じだ。
 あの日の僕は泣きじゃくりながら通学路を歩いていた。その時、僕はまだ七歳くらいだったと思う。
 何をしたのか覚えていないが、あの日の僕は学校で担任の教師に怒られ叩かれたのだ。
 ――なんて強情な子なんだ。
 ――うそばっかり。
 担任だった女教師の金切り声が耳の奥から聞こえてくる。
 毎日毎日、女教師は何かにつけて僕を怒鳴った。だけど、僕は教師が何故僕を怒るのか分からなかった。
 泣き腫らしたせいで目がうまく開かない。僕の周りで飛び交う虫の羽音がやけにうるさい。
 目の前に横断歩道が見える。信号はまだ赤だ。
 学校では散々「信号が赤の時は道路に飛び出してはいけない」と言われる。
 あの女教師も教室でそうしたことを何度も何度も子どもたちに言い聞かせていた。
 どうして赤信号の時に道路に飛び出してはいけないかといえば、それは車に轢かれてしまうからだ。
 車に轢かれてしまえば僕は一体どうなるのだろうか。
 僕は信号が変わらない横断歩道に向かって歩いていく。いっそこのまま飛び出してしまえば――――。
 その時、カッコウの鳴き声を模した信号音が響いた。信号を見ると、ちょうど青に変わったところだった。
 ああ、そうだ。僕は信号が変わるのを待っていたのだ。
 信号を待っていた人たちは呆然と立ち尽くす僕を置き去りにしてどんどん歩みを進めていく。
 僕も彼らに続こうとするが、やけに両足が小刻みに震えて心臓の音が耳に響き、一歩が踏み出せなかった。
 僕は、車道へ足を踏み入れることに対して恐怖を抱いていたのだ。
 まさか、先程の僕は信号が変わらないうちに車道へ飛び込もうと思っていたのだろうか。
 いや、そんな馬鹿なことがあるはずない。どうしてそんなことを考える必要があるのだろう。
 それなのに、僕は確かに信号が変わらないままの車道へと歩き出そうとしていた。
 その時、僕にとって口にすることすら厭わしい一つの言葉が脳裏をかすめた。
 それは人としてやってはいけないとされることだ。それを「いけない」と決めるものは宗教だったり倫理だったり、あるいは世間体と言われるものだったりする。
 どうして僕は信号が赤の時に車道に飛び出してはいけないのだろう。
 ――それは、走る車に轢かれてしまうからだ。自ら車に轢かれようと車道に飛び出すことはまさに僕が言葉にすることすら拒むそれではないか。
 いや、そんなことを考えている場合ではない、今は早く横断歩道を渡らなければいけない。信号が赤になってしまえば再び待たされることになってしまうから。
 今は車道に飛び出しても構わないのだ。信号が変わる前に急いで横断歩道を渡らなければ。
 僕は駆け足で信号が点滅を始めた横断歩道へ飛び出した。
 
 
 その日の夜、入浴を終えた僕は自室へ戻っていた。
 本当に、今日の夕方はとてもくだらないことを考えていたものだ。
 窓の外から換気扇が回る音が聞こえてくる。窓の向こうにはひたすら暗闇とまだらな白い光が広がっている。
 ガラス窓の前に立つと、亡霊のような僕の姿が見えた。その向こうにはベランダの柵だ。
 この部屋には鏡がない。だから自分の姿を映すのはガラス窓とテレビの画面くらいだ。
 何気なくガラス窓の亡霊と目を合わせてみる。伸びた前髪越しに僕を見るのは何も映さない夜みたいな色の目だ。
 窓に映る彼は紛れもなく僕だ。それなのに彼をまじまじと見つめるうち、彼がまるで他人のように思えてくる。
 人は鏡を見る時、大体の場合において鏡の中に映る人間を自分自身だと認識する。
 だが、そんな確信は一体どこから生まれてくるのだろうか。
 この世の中には気が遠くなるほどたくさんの人間がいる。その中には鏡の前に立つ時、そこに映る人間が自分自身だという確信を持てない人間がいてもおかしくないだろう。
 そんな人間は僕かもしれない。あるいは、この世で生きている僕以外の誰かかもしれない。
 果たして、このガラス窓に映る、夜みたいな目をした茶髪の男は本当に僕なのだろうか。
 この部屋でガラス窓の前に立っている人間は僕しかいない。だから彼は紛れもなく僕なのだろう。
 鏡に映る男を見るうち、僕はえも言われぬ不安と恐怖を感じ始めた。
 彼はいつも僕の後ろの辺り、少し遠い距離のところから僕を見続けているような気がする。
 今日、大学の授業が終わった時に聞こえてきた声は彼なのだろうか。
 逆に、僕が彼と入れ替わって彼の背後から彼を見続けていることもあるような気がする。
 もし、僕が知らないうちに鏡の向こうにいる彼と僕が入れ替わっていたとすれば――。
 そこまで考えたところで、僕はガラス窓から目を背けて呻き声をあげた。
 カーテンを閉めて窓から背を向け、その場にへたり込む。
 呼吸をすることも忘れていたのだろうか。喉からは笛のような甲高い呼吸音が何度も漏れた。
 後ろから彼が僕を見ている。この部屋に一人でいるのが怖くて仕方ない。どうすればいいのだろうか。
 そうするうち、息が苦しくなり出した。酸素が足らないからだと思って息を吸うが、息を上手く吐き出すことができない。
 落ち着かねば。どうにかして落ち着かねば。
 誰かに電話をかけようかと思うが、それはきっと迷惑だからやめた方がいい。
 こんな気分に陥るのはきっと疲れているからなのだろう。
 僕は体内で暴れ出す不安をどうにかなだめようと、呼吸を整える。
 そうだ。今日はそもそも体調が悪かったんだ。だから今日は早く眠ろう。
 今すぐ寝なければ、僕はとんでもないことをしでかしてしまう気がする。
 それが何かは分からないが、とにかく急いで眠らなければいけない。
 僕は震える体でベッドに潜り込むと部屋を真っ暗にし、そのまま目を固く閉ざした。
 
 
 気が付くと、僕は映画館の前にいた。
 僕は夢を見ているんだ。何故かそれを理解することができた。
 目の前には茶髪の青年と黒髪の幼い顔をした青年がいる。
 茶髪の青年は紛れもなく僕だ。そしてその傍にいる青い服の青年は――――。
 この時、僕は心臓を握り潰されるかのような苦痛を覚えた。
 嫌だ。嫌だ。この夢はこれ以上見たくない。どうか今すぐ醒めてほしい。
 自分の頬を強くつねったり強く叩いたりするが醒めることができない。
 やがて、目の前にいる二人の会話が聞こえ始めた。
 青い服を着た青年の顔はまるで黒いベールに覆われているかのようでよく分からない。だが、それでも嫌な顔をしていることは分かった。
「ねえ、『  』っていつもどうしてそんなに僕に対して良くしてくれるのかな」
 青い服の青年が口を開く。茶髪の青年はそれに対してきょとんとしたような顔をした。
「急にどうしたの?」
 目の前の「僕」はおどけたような顔をしているが、本当は青年のやけにうんざりしたような物言いに不安を感じていたのだろう。
 そんな「僕」に青い服の青年はその物言いと同じようにうんざりとしたような顔を見せた。
「君は僕を映画に誘ったり色々としてくれるけれど、こんなことはもう止めにしよう。僕もそろそろ復学のために頑張らなくちゃいけないんだ」
 青い服の彼はどうやら高校で同級生からいじめを受けていたらしい。
 そのことから彼は学校に行くことができなくなり、家にこもりがちになってしまっていた。僕はそんな彼へ手を差し伸べようとしたのだ。
 彼を映画に連れて行ったり、喫茶店で話を聞いたり、勉強を教えてやったりと、この時の僕はまるで彼の兄かのように振る舞っていた。
 だが、僕は彼を支える顔をしながらも、逆に彼に支えられようとしていたのでないか。
 確かにこの時の彼は誰かの支えが必要な状態だったことは間違いない。だけど、この時の僕こそ誰かの支えを欲しがっていたのだろう。
 僕は、毎日ひどい爪噛みに悩んで指先をいつも血だらけにしていた彼と、かつて学校で鬱屈して右手を傷だらけにしていた自分を重ね合わせていた。
「君に頼りっきりになるのがもう嫌なんだ。それとも、僕のことが好きだから一緒にいたいっていうの? それなら気持ち悪いよ。僕しか友達がいないわけじゃないんでしょう? だったら、僕にばかりべたべたくっ付いてこないで。はっきり言って、迷惑なんだよ」
 青い服の青年の言葉は僕に追い打ちをかける。
 ――気持ち悪い。迷惑だ。
 僕はその言葉が一番悲しかった。僕は確かに青い服が似合う彼へある種の好意を抱いていて、その上で彼を支えたいと思っていたのも事実だ。
 だけど、それは彼にとって邪魔でしかなかったのだ。
 もうやめてほしい。早く醒めてほしいと思っているのにどうして醒めてくれないのだろうか。
 僕は歯を食いしばりながら自分の頬に思い切り爪を立てた。
 暗くなっていく視界の中、仮面が貼りついたような笑顔の「僕」が見えた。
「そうか。ごめんね」
 最後に、「僕」はそう言って笑った。
 うそばっかり。本当はとても悲しかったくせに。君はどうしてそんな風に笑っていられるのだろう。
 僕は笑顔の仮面を被る「僕」に対して毒づいた。
 確か、あの後の一人になった僕は全てから逃げるようにバスへ飛び乗って自宅へ向かった記憶がある。
 そして、帰宅した僕は自室に置いてある、青い青年のために作ってあった勉強用のノートをビリビリに破り捨ててしまったのだった。
 
 目を覚ますと、時計の針は午前十時を指していた。
 ――しまった。しくじった。
 今日は金曜日だ。今日は一限に授業があったのだ。今から支度をしても間に合わないだろう。
 例の授業は別に出席を取るわけではない。だが、板書やレジュメを貰い損ねることはとても痛い。
 知人たちが僕にノートやレジュメをコピーしてほしいと頼んでくるのはこんな時なのだろう。
 果たして、僕が助けを求めたとすれば、彼らは僕に手を差し伸べてくれるのだろうか。
 いや、手を差し伸べてはくれないだろう。思えば、僕は彼らの名前と顔をどういうわけか覚えていない。
 だから、そもそも助けの求めようがないのだ。
 彼らは僕にとっておぼろげな人影のような存在にすぎない。人影たちはみんな人の形をしていないか、人の形をしていても顔がない。
 僕は自分の中の人影たちをちゃんとした人間として留めておくことができない。
 いつから僕はこんな風になってしまったのだろうか。
 それは青い服が似合うあの子と決別してからだろうか。それとも、中学で孤立していた頃からだろうか。
 あるいは、小学校で女教師に怒られ叩かれていた頃からか、それよりもずっと前からだろうか。それは分からない。
 それどころか、僕にとって自分自身までもがおぼろげな人影に過ぎないのではないだろうか。
 ――自分がどんな顔をしているか答えよ。
 ふと、自分自身に問題を出してみる。これは至って簡単なはずだ。自分は生まれてこの方ずっと付き合ってきたただ一人の人間なのだから。
 それなのに、僕は自分の顔を脳裏に描くことができなかった。どうしてだろうか。
 ――頭は茶髪。腕にはリストバンド。今着ているのは藍色のジーンズに白いシャツ。その上にチャコールグレーのパーカー。
 それが、僕が脳裏に描いた自分自身の姿だ。だが、いくら頑張っても顔だけが空白だ。どうしても顔を思い描くことができない。
 鏡に映る顔を見れば、確かに自分だと認めることはできる。だが、鏡から離れた瞬間にその顔は消えてなくなってしまう。
 左手の指で自分の顔をなぞってみる。すると、その指の腹が皮膚と肉越しに頭蓋骨へと触れた。
 人の顔は人それぞれ違うものだという。だが、その皮膚の下に頭蓋骨があることはみんな同じだ。
 僕はどういうわけか、図書館で人体の解剖図の本を読むのが好きだ。特に骨格のページに惹かれてしまう。
 大学で出会う人たちも、たまに行く銭湯で出会う人たちも、青い服が似合うあの子もみんな顔の下に白い頭蓋骨を隠しているのだ。
 頭蓋骨に限らず、僕たちはみんな同じように身体の下に骨を隠しながら生きている。
 人は言う。人はみんなそれぞれ個性というものを持っていると。
 でも、その個性こそが人と人との不平等となったり、迫害を生んだりする。
 人はみんな一様に皮膚一枚剥がせば骨の集合体に過ぎないことを思えばそんなことはとてもくだらない。
 人はいつか最後にはみんな平等に死んで骨になる。
 そんなことを考えるうちに、時計は十二時を指していた。
 
 
 その日の夜、机に向かってノートやレジュメの整理をしていた時のことだ。
 レジュメの整理をしていた時、僕はどことなく不快な気分に襲われ始めた。どちらかといえば、ずっと無視していた不快感に気付いたと言う方が正しい。
 別に身体のどこかが痛いわけでもない。別に何か特別嫌なことがあったわけでもない。
 それなのに、どうしたことか漠然と泣き出したいような何かを吐き戻したいような気分なのだ。多分それは昼頃から続いている。
 この緩やかな吐き気に似た感覚は何なのだろうか。だが、別に胃が気持ち悪いわけではないので吐き気とは違うだろう。
 泣き出したいといっても別に涙が出てくるわけではない。目の奥は至って冷え切ったままだ。
 そして、僕は両手の指先から手首にかけてが軽く痺れていることに気付いた。
 一体これは何なのだろうか。この痺れを感じるのは今回が初めてではないのだが、それはまるで両手の皮膚が骨から剥離していくような耐え難い気持ち悪さを帯びていて慣れることができない。
 やがて、その不愉快な感覚は僕を苛立たせた。
 苛立ちを自覚すると同時に、胸の辺りのむかつきがいっそう強くなり始めた。
 ――本当に一体何なのだろう。
 再び僕は何かに向けて問いかけるが、一体何を何に向けて問えばいいのかすら分からない。
 ただ、「どうして僕がこんな目に遭わなくてはいけないのだろうか」という怒りが渦巻いていることだけは理解できた。
 理由は分からないが、何かが無性に惨めで腹立たしくて仕方ない。
 いっそ、この両手の骨を机の角に叩きつけて砕いてやろうか。
 それとも、この両手の皮膚を骨に届くほどの深さまで切り刻んでやろうか。
 そんな暴力的な思いが心の底から湧き出したところで、ふと僕は我に返った。
 僕は何を考えているのだろうか。そして、一体何に対してそんなに怒っているのだろうか。こんな自分がとても恐ろしい。
 それにしても、だからといってどうして僕はまた自分の身体を傷めつけようなんて考え始めたのだろう。
 右手のリストバンドを左手でそっと外す。すると、傷跡だらけになった僕の右手首が露わになった。
 僕はこの過去の行いを別に後悔しているわけでない。それでもこの傷跡を見るのは嫌だった。
 手首の内側で重なり合う線のような傷跡は白く目立たなくなっている。だが、それは確かに存在する。
 ここには傷付けられた僕がいる。彼は今も僕を亡霊のように監視しているのだ。
 ――うそばっかり。
 また遠くから声が聞こえた。いや、これは僕の声だ。僕が確かにこの喉から出した声だ。
 喉を指で強く絞めつけると、手が首の骨に触れるのが分かった。
「うそばっかり……」
 僕は圧迫される喉から声を絞り出した。その声はやけに悲痛で、怒りの調子を帯びている。
 この言葉は紛れもなく、僕の呪詛だ。それは誰にも向けられることがない。誰にも向けてはいけない。
 その代わり、行き場を失った呪詛は僕自身へと返ってくる。
 ――うるさい。うるさい。お願いだから黙ってくれないか。黙ってくれ。黙れ。
 気が付けば、僕は空中に向けて声を荒げていた。傍から見ればそんな僕の姿は見えないものを相手に怒鳴り散らす危ない人間のようだろう。
 いや、僕はもう既に「危ない」人間になっているのかもしれない。
 そして、僕は半ば無意識にペン立てへと手を伸ばしていた。
 
 
 目を覚ますと、まだ真夜中だった。窓の外からは街灯と月の光が差し込んでくる。
 捲れ上がった寝巻の袖に目をやると、右手に黒い線が見えた。僕はまた「やらかした」のだ。
 目を閉じると、数時間前の光景が目に浮かんでくる。
 刃が汚れた銀色のカッターナイフ。血で汚れたノートのページ。その隅には「もうつかれた」という言葉が殴り書かれている。
 そして、椅子に座る僕は口の中を血だらけにしながら痛む右手を眺めていた。
 その時の僕はどんな顔をしていただろう。笑っていただろうか。泣いていただろうか。
 僕は何枚ものティッシュで血液以外の何かを何度も拭っていたような気がする。
 それは血液を拭っている最中だったか、あるいは机や指を汚す血液を全て拭い去った後だったか。それは思い出せない。
 浴室で衣服を脱ぎ、鏡の前に立つと右手の傷はひどく目立った。シャワーを浴びると、右手にはひりひりとした痛みが纏わりついた。
 こんな身体では当分銭湯には行けそうにない。暫くは自宅でシャワーを済ませなければいけないだろう。
 そういえば、いつも僕に代返を頼んでくるあの同級生は近々ノートを貸してくるよう頼んでくるはずだ。
 だが、そのノートは血で汚れている。どう考えてもそんなものを人に貸せはしない。
 同級生たちの前で見せている「お人好しな僕」を演じるのはもうこれ以上無理だ。
 もし相手の頼みを理由も説明せず断ればおそらく「人でなし」とでも見られてしまうことだろう。
 その一方、相手に血で汚れたノートを貸したとしてもこれまた白い目で見られるに違いない。
 それでも、もうそれで構わないのかもしれない。どの道離れていく人間なら最初から繋ぎ止めるなんて無理なのだ。
 青い服が似合うあの子との決別も確かに悲しかったが、それも仕方なかったことに違いない。
 そんなことよりも右腕の傷を隠しきれるかということが気がかりだった。傷の範囲が広すぎればリストバンドでは隠しきれない。
 思えば、僕は何のためにリストバンドで腕を隠し続けているのだろうか。
 他人に自傷を繰り返す人間であることを知られたくないからだろうか。
 もっと言及すれば、傷を見られることで変な人間だと思われるのが嫌だからだろうか。
 結局、僕はひたすら他人の目に雁字搦めにされて怯えているような人間なのだ。
 そうするうちに、僕は少しずつ「僕」を失っていく。死体が朽ちて肉を失い、骨になっていくかのように。
 果たして、僕は本当に生きているのだろうか。
 確かに自分の身体から流れる血を見てみれば、少なくとも身体は生きているということは明らかだ。
 だが、精神の方はというと緩慢に色々なものを失い続けて今やすっかり痩せ細ってしまっているのではないか。
 今まで、僕は自分が痩せて骨だけになりつつあることに気付けなかった。
 心が痩せ果てた今の僕に残っているのは「うそばっかり」な自分だ。
 この自分はかろうじて残っている僕自身の骨とは噛み合わない。だから、いともたやすく骨から剥離していこうとするのだ。
 僕がことあるごと、痛みに訴えかけるのはこの剥離を止めようとする試みなのだろうか。
 それでも、それは小手先の手段に過ぎないからほぼ意味がないと言っていい。
 いつまで僕はこんな意味のないことを繰り返すのだろうか。それを終わらせる方法は「死」しかないのだろうか。
 もし考えるのと同じだけ簡単に死ぬことができるのなら僕には悩む必要なんてない。
 その時になって、僕は自分の中に横たわる死への願望を明確に意識することになった。
 だが、僕はあくまでそれに気付きたくなかったのだ。だから、何も気付かなかったふりをしよう。
 ああ。そうだ。そういえば、喉がひどく渇いている。だが、冷蔵庫の飲み物は切れていたはずだ。
 時計に目をやると、その針は二時を指していた。こんな時間でもコンビニなら開いているだろう。
 血みたいに薄く濁った味の飲み物が飲みたい。そんな飲み物があるかは分からないが。
 それよりも、今の僕は無性に誰かと言葉を交わしたいのだ。たとえそれが営業上での本心が伴わない言葉であっても構わない。
 今なら、いつもコンビニのレジに立っているアルバイト店員の心がこもらない無愛想な挨拶ですら恋しくて仕方ない。
 そんなことを思いながら、僕は壁にかけてある暗い灰色のパーカーに袖を通した。
 
 *おしまい*
 

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