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資源ゴミ置き場

あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。

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水葬(再々構築ver・後半)

 (注意のようなもの)
 この文章は水葬(再々構築ver・前半)の続きです。前半から読んでいただけたらこれ幸い至極です。
 

 
 
 夏が終わって秋になった頃だっただろうか。その頃の私は家にこもりがちとなり、何故私でなく妹が死ななければならなかったのかという途方もないことを一人問うばかりだった。
 もちろん体調が良くなるはずもなく、明かりを消した部屋で一人塞ぎ込んでいることが多くなっていた。
 それはある日の夜、眠りに就こうとした時のことだった。
 部屋の明かりを消すと、私は部屋に人の気配を感じた。
 まさか、こんな時間に家族が部屋に入ってくるわけがないだろう。第一、家族は皆寝静まっているはずだ。
 では、この部屋にいるのは一体誰だというのか。その人は暗闇の中でずっと私を見ているような気がする。
 何とも言えない気味悪さと不安を覚えた私は部屋の明かりを点けた。
 すると、そこには誰もいなかった。辺りを見回しても誰もいない。机の下やベッドの下を見ても人など隠れていなかった。
 人の気配を感じたのは気のせいだったのだろうか。
 その日の私は再び明かりを消してそのまま眠りに就いた。 
 だが、その次の日の夜も私は明かりを消した部屋に人の気配を感じた。
 どうも、その人は背後から私を見ているらしい。
 だが、後ろを振り返っても誰もいなかった。
 やはり、気のせいだったのだろうか。それにしても、不気味で仕方ない。
 再び毛布を被ろうとしたその時、視界の隅に立つ女の影が鮮明に見えたので私は飛び起きた。
 女は長い髪を二つ結びにし、ひざ丈ほどの長さのワンピースを着ている。女というよりは少女と言った方がいいだろう。
 やがて、私はその少女が妹であること、全身がずぶ濡れになっていることに気付いた。妹は湖に身を投げて死んだ時の姿だった。
 私が見ているのは幻なのか。それとも、妹の亡霊が現れたというのか。
「あなたはグレースなのか……?」
 私は妹の影に問いかけた。
 だが、妹は黙ったまま口を開かない。その顔は影になっていて表情は分からなかった。
「許してくれ、助けられなくて本当にすまない」
 私はただ、妹に許しを乞い願うことしかできなかった。妹は私を見るだけで何の反応も見せない。
 しだいに、意識が朦朧としていく。私はそのまま、妹の足元に倒れ込んで目を閉じた。
 再び目を覚ました時、すでに日が昇っていた。部屋には妹の姿どころか、妹が入ってきたという痕跡すら残っていなかった。
 私の前に現れたのは妹の亡霊だったのだろうか。それとも、あれは夢や幻にすぎないものだったのだろうか。
 その日の私は釈然としない思いで一日を過ごすこととなった。
 そして、その日の夜も再び「人に見られている」という感覚が私を襲った。
 暗闇の中でベッドの傍に目をやると、昨日と同じようにずぶ濡れになったワンピース姿の妹が立っていた。
 濡れた前髪が貼りつき、影になってその顔はよく見えないが、ただ悲しそうな表情をしているということだけは分かった。
「……毎日私の前に現れるほどに、私のことを恨んでいるのか?」
 私は妹に向けて尋ねていた。妹はただその場に立ち尽くすだけで何も答えない。
「そうなのか? お願いだ、答えてくれ。本当にすまない」
 何も言わない妹に許しを乞い願ううち、涙が溢れ出した。
 真っ暗な部屋にはぽたりぽたりと水が滴り落ちる音と私の声が響くだけだ。
 その日も、妹は何も答えないまま姿を消してしまった。
 その日以来、妹は何度も私の目の前に現れた。
 妹はいつも一言も喋らない。それでもその姿は私を責め立てているようにしか見えなかった。
 何も答えないまま消えていく妹はまるで「あなたが私を殺した」と私に訴えかけているようだ。
 妹が現れるたび、私は半狂乱で許しを乞い願い続けた。
 時には妹を追いかけて家を飛び出し、湖に落ちてそのまま朝まで気を失っていることさえあった。
 そんな日々が続くうち、私は得体の知れない恐怖に苛まれ始めていた。
 ――妹が私を恨んで毎日私のところへやって来る。私が妹を殺してしまったも同然だからだ。
 たまに顔を合わせる近所の人間に対しても、私はこのようなことをまくし立てるようになっていた。
 だが、彼らは口をそろえて毎晩現れる妹は幻にすぎないと言い張った。
 ――あなたは妹を殺してなんかいない。あなたが言っていることは荒唐無稽だ。
 誰も彼もがそう言ったが、それを信じることなどできなかった。
 もし、私が自分の頭の中に芽生えつつあったある種の支配的な観念より周囲の人間のことを信じていたならば、これ以上の破滅は免れていたのかもしれない。
 だが、私は湧き水のように溢れ続ける恐怖に翻弄されるばかりで、そうすることができなかったのである。
 
 やがて、私は周りのあらゆる人間が私のことを「妹殺し」として見ていると確信するようになっていた。
 周囲からは否定されていたにもかかわらず、何故このような確信を持ち始めたのかは分からない。
 だが、それにはもう一つ思い当たることがあった。
 その頃の私は悪夢を繰り返し見るようになっていたのだが、その夢の中で私はいつも深く暗い湖の中にいた。
 水の中にいるのにもかかわらず、何故だか呼吸をすることはできたので息苦しさは全く感じなかった。
 そこで私は湖の底へと沈んでいく妹の幻を見るのだ。
 沈んでいく妹の手を掴もうとすると、その身体はバラバラの骨となり私の手をすり抜けていってしまう。
 妹の骨を追いかけて湖底へ沈んでいくと、そこには名も分からぬ人間たちの無数の骨が積み上がっていた。
 蟻が不要な土や砂を一つの場所へ捨てて塚を形成していくように、そこは死者が捨てられていく場所なのだろう。まさに人の「蟻塚」だ。
「お前は妹を確かに愛していた。だが、それと同時に憎んでいたのだ」
「お前は妹殺しだ。そんなお前は俺たちの仲間になる権利すらない」
「本当は分かっているのだろう。お前はあまりに無力で愚かだった」
 「蟻塚」に積み上がる死者の骨たちはまるで生きた人間のように私に向けて喋り続けた。
 そして、彼らはバラバラになった腕で一つの方向を指差しながら言ったのだ。
「あれを見ろ」
 と。
 骨たちが指差す方向に目をやると、岩陰から黒い衣服がひらひらと揺れている。
「近づいて、しっかりと見るんだ」
 骨たちの声にしたがって揺れる衣服の主の元へ向かい、それを見た私は息を飲んだ。
 私が目にしたのは、自分自身の腐乱した死体だったのだ。
 死体は一糸纏わぬ姿で湖底に横たわっている。衣服だと思っていたものは骨から剥がれ落ちた皮膚だった。 
 腐乱した私の、眼球を失って空っぽになった眼窩が私をただ見つめている。
 「蟻塚」を形成する妹を含めた無数の死者の中で、私一人だけが腐敗しながら肉体を保っている。
 これは、私の行く先を表しているのだろうか。私は耐え難い恐怖を感じ、悲鳴を上げた。
 そこで、いつも私は目を覚ました。
 その他には、妹の首を絞めて殺す夢や妹を湖へ突き落す夢を見ることまであった。
 湖の底に積み上がる無数の死者の骨、骨になった妹の亡骸、そして自分自身の腐乱した死体。
 私の手の中で消えていく妹の鼓動。悲鳴を上げ、もがき苦しみながら湖の底へ沈んでいく妹。
 夢の中で見るこれらの幻影は日ごとにより鮮明で生々しいものへと変わっていった。
 夢で見た名もなき死者たちが語るように、私は妹のことを愛していたと同時に憎んでいたのだろうか。
 本当に私はこの手で妹を殺してしまったのだろうか。
 そして、そんな罪深い私は死しても死者たちから疎外される存在なのだろうか。
 何が私の妄想で何が事実なのか。何が夢で現実か。その区別がつかなくなるのに長い時間は要さなかった。
 この頃にはもはや自分の中で狂気が幅を利かせ始めていることを周囲に隠せなくなっていたのだ。
 私は荒唐無稽な妄想の世界で生きようとする一方、その荒唐無稽な妄想を語ることで周囲に助けを求め続けていた。
 だが、それは人を遠ざけるばかりで助けを求める私の叫びは誰にも届くことがなかった。
 ――まるであいつみたいで気持ち悪いからやめてくれ。
 ――お前まで気違いになってしまえば家の恥だ。自分をしっかり保て。
 家族が私へと向けるこのような言葉もただ私を追い詰めるだけで何の薬にもならなかった。
 それどころか、彼らが妹を「恥ずべき存在」として見ていた事実を突き付けられてさらに絶望を深める結果となったのだった。
 そんな私は理由の分からない怒りに駆られて自室にあるものを発作的に壊し回るようになった。
 魔術士として駆け出しだった頃に大切にしていた何冊もの分厚い書物を力任せに破ってはそれらの残骸の中で茫然と座り込む。野獣のように呻きながら床を力任せに何度も殴りつける。そんな日が続いた。
 何故こうも破壊的な行動に走るのか。私にはもう自分の行動の意味が理解できなかった。私はただ絶望していた。
 自分はもはや精神を病み始めている。そのことに気付いた頃にはもう全て遅かった。
 そんなある日の昼のことだ。
 その日の私は気分がましな方だったので居間に行こうと部屋を出た。
 居間の前に立つと、扉の向こうで家族が会話をしているのが聞こえた。
 そういえば、私が最後に家族とまともな会話をしたのはいつだっただろう。
 まず、今まで物に当たり散らしたり妄言を吐いたりと散々振り回してしまったことを謝らなくては。
 扉に手をかけようとしたその時、私は扉の向こうの家族たちがやけにひそひそとした話し方をしていることに気付いた。
 一体何を話しているのだろうか。
 会話の内容が気になった私はそっと扉に耳を当ててみた。
「せめてあれをどうにかして部屋に閉じ込めておかねばならないだろう。兄妹そろって癲狂院送りだなんて不名誉なことこの上ない」
「いっそ虫にでもなってしまった方がここから追い出すか殺すかできるだけましなのに」
 ――扉の向こうから聞こえてきた会話の内容はこのようなものだった。
 この時に私が受けた痛手がどれほどのものだったかを語る必要はないだろう。
 私はかつての妹と同じだけ家族から蔑まれ、嫌われる存在になっていたのだ。
 私はもう家族との関係を修復できない。私に手を差し伸べてくれる人は誰もいない。それを改めて理解した私は目の前が真っ暗になる心地がした。
 心臓の音がうるさくなり出し、足ががくがくと震えて今にも崩れ落ちそうだ。
 もつれる足で逃げ込むように自室に戻った私は、机の上に置かれたペーパーナイフを左の手のひらに思い切り突き刺した。
 そして、それだけでは飽き足りず手の甲にもその刃先を何度も叩きつけていた。
 どれだけの間刃を振り下ろしていたのか。刃を握る手を止めた時には私の左手の皮膚は紫色に腫れて破け、血が流れては指を伝っていた。
 その場に座り込んで真っ赤に染まる指先を見るうち、部屋を荒した妹を叱りつけた日のことが頭をよぎった。
 あの日の妹も今の私と同じように自分へ刃を向けたが、あの時の私には自分自身に刃を向ける妹の気持ちなど理解できなかった。
 今の私は「全てはもう修復できない」という現実に打ちひしがれている。厄介払いにされる前の妹もこんな気持ちだったのだろうか。
 妹の壊したものが元に戻らなかったのと同じく、私がこの手で壊した全てのものも元に戻らない。
 そんなことを思ううち、喉がいやに引き攣り出した。
 そして、私はそのまま喉が潰れるのではないかというほどに泣き叫んだ。
 やがて、鍵を閉めた扉の向こうから扉を乱暴に殴りつける音が響き始めた。
 ――気違いみたいに泣くな、耳障りだ。
 誰の声かは分からないが扉越しに怒鳴る声が聞こえてくる。
 だが、私も好きで癇癪を起こしたかのように泣き喚いているわけではない。いくら歯を食いしばろうと全く歯止めが利かないのだ。
 いっそ泣くことができない虫けらになってしまいたい。それが無理ならこのまま息ができなくなって死んでしまいたい。
 私は耳を塞ぐように毛布を被り、水に溺れるような苦しみの中でただそう願った。
 
 その日の真夜中、私は家族が寝静まったのを見計らい、顔を洗おうと洗面所に立った。
 この時、歯を食いしばりすぎたせいで顎が重く痛み、喉も嗄れて声は殆ど出なくなっていた。
 そして、何度も手で擦ったせいで瞼と鼻の下はひりひりと痛み、頭痛のせいで足元はふらふらとしている。
 それに加え、冷たい水は散々泣き腫らした顔とぼろぼろに傷付いた左手にとても染みた。
 鏡を映る自分の顔を見ると、濡れた頬には前髪がべったりと貼り付いている。目は真っ赤に充血していて瞼も鼻の下も真っ赤だ。
 なんてひどい顔なのか。ここまで泣いたのだからもういいだろう。これ以上泣いたら目が潰れるか溶け落ちるかしてしまいそうだ。あるいは、涙の代わりに血が出てきてしまう。
 タオルで顔を拭って一息ついたその時、腹がぐうと音を立てた。
 思えば、今日は昼から何も食べていないのだ。それなのに今まで空腹を感じなかったのは涙や鼻水を大量に飲んだせいだ。
 だが、こんな時間に食事をするわけにもいかないだろう。空腹は部屋にある水薬でも飲んで誤魔化そう。
 そんなことを考えながら再び鏡に目をやると、私は思わず悲鳴を上げた。
 そこに泣き疲れた顔の妹が映っていたからだ。
 病み疲れた顔をした妹。目の前で苦しむ姿を見ておきながらも助けてやれなかった妹。
 グレース。何故あなたはいつもそんなに悲しそうな顔で私の前に現れるのか。やはり私を責め続けるのか。答えてくれ。
 ひどく掠れた声で妹の名前を呼ぶと、妹は私と同じように口を動かした。それは紛れもなく私の顔だったのだ。
 この時の私の顔はかつての妹とひどく似たものになっていたのである。
 妹が生きていた頃、周囲に「妹と似ている」と言われることはあったが、生き写しだと言われるほどではなかった。
 妹と同じように精神を病み出したことでそれが私の面相にも表れるようになったのだろうか。
 それとも、私は自分の顔を妹の顔と見間違えるほどに頭がおかしくなっていたのだろうか。
 あるいは、その両方なのだろうか。それは分からない。
 私は鏡に映るのが自分でしかないことに気付くと無性に自分が情けなくなり、力なく笑いながらその場にへたり込んだ。
 
 それから三日後の朝、私が目を覚ますと、家には誰もいなくなっていた。
 それも、家族の私物という私物までもが全て消えていたのだ。
 その時、私は全てを理解した。家族は私を一人置いてこの家を出ていってしまったのだ。
 かくして、私はとうとう独りぼっちになってしまったのである。
 半狂乱で誰もいない居間に駆け込むと、テーブルの上に一枚の紙切れが置かれていた。
 ――もうこの都は我々にとって不名誉にまみれた場所でしかない。これ以上こんな忌々しい場所に住み続けろというのは酷な話だと思わないか。だが、お前はどうしてもこの都を離れたくないようなので、我々はその意思を尊重したいと思う。お前も二十を過ぎたのだから一人で暮らすくらいのことはできるはずだ。どうか、我々のことは探さないでほしい。
 紙切れにはこのようなことが書かれていた。
 家族は文面上では「意思を尊重する」などと書いているが、これは明らかに欺瞞だ。彼らは精神が使い物にならなくなった私を見捨てるつもりなのだ。
 私は家族の行為へ怒りを覚えた。だが、それ以上に耐え難いほどの絶望感が込み上げては黒い水のように私を飲み込んでいった。
 この数ヶ月のうちに、私は自分にとっても到底手に負えない人間になってしまった。こんな私のことが他人の手に負えるわけなどない。
 私と同じように当たり散らすことがあったとはいえ、妹はまだ十歳を過ぎたばかりだったのでまだ家族にとっては無理やり療養所へ送るなどの手の施しようがあった。
 だが、私は二十を過ぎたばかりの男だ。こんな私は妹と比べれば筋力がある分とても厄介だっただろう。
 さらに、私が魔術士であることを思えば私が魔力を暴走させることを恐れたのかもしれない。
 自分たちを殺すだけの力をもつ狂った人間と一つ屋根の下で暮らしたいと思う者がいるはずがない。
 したがって、私が見捨てられるのは必然だったのである。
 私は床に膝をつくと、手紙を前に頭を垂れた。三日前にあれだけ泣いたというのに、それでもまだ涙は出てくるらしい。
 止めどなく落ちる水は音を立てて紙の上の文字を黒く潰していく。滲んだインクはさながら黒い涙のようだ。
 妹を失って、魔術士としての地位を失って、家族も失って、これから私はどれだけを失うのだろう。
 黒い水は私の中から溢れ続けて止まらない。今の私はただただその奔流に弄ばれ続けている。
 私はあまりに無力だ。大切なものを守ることはおろか、自分という人間の始末すらできない。それ故に何もかもを壊してしまった。
 こんな私は大人の男として以前に人として出来損ないだ。「何の価値もない」としか言いようがない
 何もかもを失った今、頭に浮かぶのは自分自身を呪う言葉ばかりでしかなかった。
 
 この時、妹が死んでから間もなく一年が経とうとしていた。
 
 全てを失い、独りになった私に今や制御をかけてくれるものなど何一つなかった。
 したがって、私の中で幅を利かせていた狂気は孤独感と共に私を急速に蝕んでいった。
 そんな中で人らしい生活をすることなど到底無理な話だった。
 私は日がな鏡のない真っ暗な部屋に閉じこもり、その生活をより荒んだものへとしていった。
 そしてついに、夢の中で喋り続けていた死者たちは現実にまで現れるようになった。
 ――お前は妹の死を踏み台に悲劇の主人公を演じているにすぎない。
 ――お前は人の形をした怪物だ。死ぬ権利すらない。
 ――お前は不死者となって永遠に苦しむのがお似合いだろう。
 死者たちはそう言って私を罵り、そのたびに私はその声をかき消そうと何度も壁に頭を叩きつけた。
 もはや、正気を保とうとするには身体の痛みにすがるしか手段がなかったのだ。
 やがて、日ごとに私が痛みにすがる目的は自分が死ぬ存在であることを確かめることへと変わっていった。
 勿論それによって得られる安心は一時的なものにすぎず、より死に近い痛みを求めるうちに私は自傷行為を加速度的に悪化させていった。
 刃物で首や手足を深く切り刻む。毒薬を飲み干しては胃の中身を吐き戻す。紐で首を絞めつける。そんな行為が幾度となく繰り返された。
 自分が死する存在であることを確かめるために苦痛を求めて自分の身体をとことん傷めつける。いつの間にか私はそんな状態になっていたのである。
 そんなある日の夜、私は暗い洗面所の鏡に映る自分を見て我に返った。
 そこに映るのは、病み果ててひどく歪んだ面相に変わり果ててもなお生きている人間の姿だった。
 狂気を帯びて落ちくぼんだ赤い目、手入れを忘れられ伸びさらした埃だらけの黒い髪、ひどく痩せこけた頬、陽の光を避け続けて血の気を失った青白い肌。
 手当てをしないままの傷は膿んで焼けるように痛み、今にも白い蛆虫が湧き出しそうだ。
 こんな姿になっても人間は立っていられるものなのだろうか。ほぼ死人同然の態でないか。全てがおぞましい。
 その瞬間、立っていられないほどの眩暈と激しい吐き気に見舞われた私はその場に倒れ込み、胃の中身を床にぶち撒いた。だが、それでも吐き気は治まらず吐くものがなくなってもなお私は吐き続けた。
 全てを吐き戻して再び視界が鮮明になった時、私は自分の吐いたものがやけにどす黒いことに初めて気付いた。
 それは白日の下で見たとすると錆色をしているのだろう。口の中に広がる錆の味が何よりの証だ。
 毒薬や嘔吐によって傷めつけられ、全く食べ物を受け付けなくなった胃からはとうとう大量の血が吐き出された。
 再び膝立ちになって鏡に目をやると、歯もぼろぼろになり始めている。そして、鏡に伸ばされた腕は痩せ細って骨のようだ。
 今まで、鏡のない部屋に独り閉じこもっていた私は自分の手で自分の身体を壊しながらもその壊れ様というものが見えなくなっていた。
 誰も咎める者がいなかったが故に私の行為は制御が利かず、こうも取り返しのつかないところまでいっていたのである。
 こんな私の姿は大抵が醜い姿をしているという不死者たちと大差ないだろう。そして、全ては「身から出た錆」としか言いようがない。
 そこでふと、魔術士として駆け出しだった頃に書物で見た「狂気の杖」と呼ばれる杖にまつわる話が頭をよぎった。
 その杖は闇に堕ちた者だけが手にする資格を持ち、破滅を望んだとある魔術士が手にしたものだったと読んだ記憶がある。
 その魔術士は狂気に陥った末、不死者となってしまったという。
 その頃はその魔術士が辿った末路をなんて愚かなのだろうと一笑に付していたが、今の私には笑うことなどできなかった。
 その魔術士と今の私はどちらが愚かだろうか。
 私を罵る死者は存在しない。私は死のうと思えば死ねる存在だ。
 血を流す傷の痛み、嘔吐の苦しみ。これらは生きているからこそ感じるものだが、私はそれらをただひたすら嫌悪している。
 そこまでに死を求めるのなら、最初から私がするべきことは決まっていたのではないだろうか。
 そんな簡単なことに考えを及ばせることもなく、一人で死を追いすがって苦痛を求め続けていた私は非常に滑稽だ。
 そして、私は鏡に映る自分の姿を認識することで死が近いことを悟った。
 言うまでもなく、私が繰り返していた行為は死を早める行為である。
 私はもうじき衰弱が進んで立つことすらままならなくなり、血と吐瀉物の中で息絶えることになるだろう。
 実際、今の私は立っていることさえ苦痛になっている。
 いずれ死ぬのであれば、人の目に付く場で醜い死に姿をさらすより人の目に付かない場で消えるように死ぬ方がずっといい。
 だが、こんな身体で遠くまで行けるはずがない。
 この街の地下には下水道がある。そこであれば何とか辿り着けるはずだ。
 かくして、私は自ら命を断つために下水へ身を投げることに決めたのだ。
 それが、私の手で自分自身のためにしてやれる最後の施しだった。
 
 真夜中のルミエストは雷雨に見舞われていた。
 その中で私は身なりを整えて妹の形見であるスカーフを纏い、かつて妹と暮らした家に別れを告げた。
 激しい雨音だけが響く街を死人のようなおぼつかない足取りで歩いていく。街灯に照らされた黒い湖面にはそんな私の影が揺らいでいた。
 身に纏うローブは雨に濡れ、その重みを増して肌に纏わりついていく。しだいに全身の傷が開き、ひどく痛み始めた。
 だが、今の私にはもう傷の痛みなど全く怖いものではなかった。
 それよりも、途中で力尽きて無様な姿をさらすことの方が嫌であった。
 気を抜けばすぐにでもその場に倒れて動けなくなりそうだ。その前に早く辿り着かねば。
 ただそんな思いだけが私の身体を引きずっていた。
 下水道へと続く階段は宿屋のすぐ近くにあった。そこは管理が手薄なのか誰でも自由に入れるような様子だ。もっとも、下水道になんて好き好んで入っていく者がいるとは思えないが。
 そのまま階段をゆっくり降りていくと水路は雨で水かさが増していた。
 水路内には雨の匂いが漂っている。この水路は下水道というよりはむしろ雨水道の役割を担っているらしい。
 この水路がなければルミエストは頻繁に洪水に襲われることとなっていただろう。
 ああ。それにしても、この水路は「下水道」と呼ぶにはあまりに綺麗すぎる。下水道というより地下に造られた運河のようだ。
 そういえば、どこかでこの街を美しく保つために努力を注いだ清掃員の話を聞いたことがあった。だが、間もなく死ぬ私にはそんなことは今や無関係な話だ。
 水路で渦巻く水を前に、私は地面に座り込みながら目を閉じた。
 果たして、私は死後に妹と会うことはできるのだろうか。
 いや、もし妹に会えたとしても妹は私を拒絶するだろう。私は最後まで最低な兄であったのだから。
 そもそも、死後にまで「私」という意識に煩わされることは勘弁であった。私にはもう「私」という人間は手に負えない。だからこそ「私」の後始末のため私は死を選ぶ。
 死してもなお私が「私」であるのなら、私が命を断つ意味がなくなってしまうではないか。
 そして、行き場がなく誰の手にも負えない人間をこれ以上野放しにすることは自ら死を選ぶことと同じだけ非倫理的だろう。
 自分のためにも他者のためにも私が死ななければならないことは自明なのだ。
 どうか、これで全てが終わりであってほしい。
 私は心の底からそう願い、ゆっくりと身体を倒しながら轟音を立てる冷たい渦へ身を任せた。
 先程から雨水を飲み込み続けていたローブと髪はいとも容易く水に馴染んでいく。
 冷たいはずの水は私の身体を温かく抱き止め、その境界を曖昧にしていった。
 私は考える。もし、私の心にもこの下水道のような役割を果たすものがあったとすれば全てはここまで破壊されることなんてなかったのだろうか。
 あるいは、下水道たりうるものがあったとしてもそれだけでは間に合わず、どの道私は破滅する運命だったのかもしれない。
 ただ、私から溢れ出た黒い水は全てを破壊し尽くしてしまった。それだけが事実だ。
 私はもう全てを壊してもなお止まらない自分自身の奔流に飲まれるしかない。これこそ私の「絶望」だろう。
 ――――お兄ちゃん。
 その時、誰かが私を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
 ――もどっておいでよ。
 その声は、紛れもなく妹の声だった。
 グレース。あなたは一体どこから私に呼びかけているのか。
 戻っておいでなどと言われても、駄目なんだよ。私はもう戻れない。戻る場所なんてない。
 あなたを失ってから、周囲の人間の言葉に耳を傾けることもなく自己完結の世界で生き続けることを選んでしまった私はそれに相応しく自己完結の死を迎えなければならない。
 そして、私はあなたを守れなかった自分自身が許せなかった。だからこそ私は自分を処刑するという意味でも死ななければならないのだ。
 ――だめだよ。やめて。
 妹は私へ呼びかけ続けるが、私はそれを無視して深く暗い水の底に沈んでいく。
 そして、やがて何も聞こえなくなった。
 
 *おしまい?*
   


 
 (あとがきのようなもの)
  

 個人的にレントンさんと妹の年齢は8~10歳くらい離れているイメージがあります。この文章もそのつもりで書いていました。文中のレントンさんは22~25歳くらい。14歳と40歳では兄妹どころか父娘っていう年齢差になってしまいますし。

 イルヴァ資料館が更新されたことでレントンさんと妹の年齢差が6歳だと分かりました。そして妹の名前も判明しましたね。グレースさん、とてもいい名前だと思います。年齢差的に考えたらレントンさんはグレースさんを亡くした時点でまだ20歳にすらなっていなかった可能性があるんですね…。(2014年2月8日追記)


 狂気の杖のフレーバーテキストではレントンさんが同アイテムについてコメントをしていますが、「彼もきっと失いすぎたのだろうね」という言葉が何だか突き刺さります。レントンさんは妹の他に何を失ったのでしょうか。
 妹以外のもの(例えば地位とか家族とか健康な身体や心とか)を不運の連鎖で失い続けていたとしたら、それが40歳になってもなお影を落としていたとしてもおかしくはないような気がします。この文章はあまりに極端すぎる気がしますが。
 ちなみにスノードロップは修道院などでよく育てられていた花らしいです。その一方では花の色が死装束を連想させるということで嫌われることもあるとか。人に贈れば「あなたの死を望みます」という意味になってしまうあたり怖い花です。椿(カメリア)の花も「控え目な愛」とか「申し分のない愛らしさ」といった花言葉がありますが首が落ちるみたいな散り方をするのでそうした意味では…。
 蟻塚についてはdeadmanという今は活動休止してしまったバンドに同タイトルの曲があるのですが、同曲が収録されている"no alternative"というアルバムを聴いたら幸せになれるかもしれません。
 deadmanのボーカルの前バンドのKeinにも「一人になるくらいなら下水に…」と歌ってる曲があるんですよね。デモテープが入手困難なのでとてもつらい。
 前半の方でレクサス(番人)が「かたつむりでもできる」と言っているのは「そんなことはかたつむりのように学習力のない愚鈍な奴でもできる」という意味があったりなかったりします。
 声にするべき言葉を奪われ、声にならず頭の中に響く内省の言葉ばかりが増えていくという悲劇。鬱積し続けた激しい怒りや呪い≒絶望。
 嘔吐を繰り返すと胃酸で歯が腐ります。

 
 ついでに書くと、下水に飛び込んだレントンさんはまだ生きています。
 
 *おしまい*
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