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資源ゴミ置き場

あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。

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悩める魔術士の自虐癖と掃除屋の孤独

 
 (まえがきのようなもの)
 この文章はの「水葬」の続きのようなものでした。やや痛々しい表現があるのでその辺りはご注意ください。
 文中のバルザックさんとレントンさんはまだ若いです。 
 (2014年6月21日追記)
 ところどころを修正したり加筆したりしました。
  

  
 
 それは晴れた夏の終わりの日のことだった。その日の僕は仲間の清掃員と共に宿屋のトイレの修理に赴いていた。
 最近はこの街にも水洗トイレが普及し始めており、トイレの修理を依頼されることが増えていた。
 宿屋にはトイレが二つあるのだが、今回はそのうちの一つが詰まってしまったのである。
 おそらくは、水洗トイレの使い方を知らない客がゴミを捨ててしまったのだろう。
 普及したばかりである水洗トイレの正しい使い方を知る者はあまり多くない。
 水洗トイレを噴水や泉の類と同等のものとみなしてはポーション類を投げ込む者が出るのは日常茶飯事だ。
 さらに、便器に顔を突っ込んでは水を飲み干そうとする者までもがいるらしい。
 水洗トイレの正しい使用法を知る者からすると、便器に顔を突っ込んで水を飲み干すだなんて正気の沙汰でない。
 誤った使用によって水洗トイレを壊してしまう者が多いことは嘆かわしい話だ。
 そして、水洗トイレで使用する水は汚水である。だからそれを飲み干すことは病気に罹る危険もあるのだ。
 トイレの詰まりを直すには「ラバーカップ」という、先端に半球状の樹脂が付いた棒状の清掃具を使って詰まっているものを吸い出す必要がある。
 今回の宿屋のトイレもラバーカップを使うことで詰まりを取ることに成功したのだが、それはひどく疲れる作業であった。
 ラバーカップで吸い出されたものを見た時、僕を含めた清掃員一同は目を点にした。
「おい。どういうことだ」
「何でこんなものがトイレの便器なんかに……」
 清掃員たちは驚きのあまり皆がそう漏らした。
 便器から吸い出されたのは可愛らしいレースの装飾が施された淡いピンク色のパンティーだった。それは「ギャル」と言われる年齢の若い女性が着用するものだ。
 このギャルのパンティーとは多くが専門の職人による手作りであるため、一般的に価値が高いものとして知られている。
 何故こんなものがトイレに流されていたのだろうか。盗品の証拠隠滅のために流されたのだろうか。それは分からない。
 結局、件の可愛いギャルのパンティーは奪い合いになった末に清掃員仲間のうちの一人が持ち帰ることとなった。
 僕はいくらギャルのパンティーとはいってもトイレに流されたものを持ち帰るだなんて御免だった。
 この街の人々にも水洗トイレの正しい使用法を広めなければいけない。
 僕は掃除屋の端くれとしてそんな使命を感じずにいられなかった。
 
 宿屋を後にした頃にはもう日は高くなっていた。朝の掃除も終わったので自宅に戻って何をしようか。
 ラバーカップを片手に魔術士ギルドの前を通り過ぎた時、ふと二年ほど前に下水道で助けた男のことが頭をよぎった。
 その男は雨上がりの下水道で意識不明の状態で見つかった。
 僕は癒し手の処置を受けさせねばとその男を魔術士ギルドへと運んだのだが、番人の様子からしてあのギルドの人間だったらしい。
 この数ヶ月の間にギルドへ男を見舞うべきかと考えることは何度かあったが、ギルド員でない僕には魔術士ギルドの中に立ち入ることはできない。
 ギルド番人に何度か男の容体を尋ねに行ったこともあったが番人は何も答えてくれなかった。それ故に男の状態を知ることはできなかったのだ。
 そうするうちに僕はギルドを訪れることもなくなり、男のことも忘れようとしていたのだった。
 あの後、あの男はどうなったのだろうか。まさかあのまま助からずに死んでしまったなんてことはあってほしくない。 
 そんなことを考えながら住宅街に入った時、僕は建物の間の狭い路地でうずくまる黒い影に気付いた。周囲の人間は誰もそれに気付いていないらしい。
 路地に足を踏み入れると、足元に散らばる空き瓶の欠片がバリバリと音を立てた。
 そして、その影の正体が人であることはすぐに分かった。
 空の大きなゴミ箱の傍で、丈の長い真っ黒なローブを着た人が座り込んで震えている。
 そして、黒いローブのその人は首に淡い色のスカーフを巻いている。夏の服装にしてはいささか暑苦しそうな格好だ。
 この街の気候は比較的寒冷であるが、夏はそれなりに暑い。この暑さで体調を崩したのだろうか。
「おい、こんな暗くて狭い場所で何をしているんだい。気分が悪いのか?」
 そう呼びかけると、その人は「ひい」と小さく悲鳴を上げた。それはひどく掠れた呼吸音のように聞こえた。
 どうやら相手は男のようだ。僕よりも十歳ほど年上だろうか。長い前髪越しに見えるその顔は何かにひどく怯えているように見える。
 そして、彼は気だるげな低い声で呟いた。
「大丈夫だ……だから一人にしてくれないか」
 だが、その様子はどう見ても大丈夫には見えない。
「どう見ても具合が悪そうじゃないか。一体どうしたんだ」
「……別に何でもない」
 頑なに何ともないと言い張る男は胸を押さえながら苦しそうに息をしている。
「まさか、息が苦しいのか?」
 僕が尋ねると男は途切れ途切れに答えた。
「これは……いつものことなんだ。だから放っといていい」
「いや、放っとけやしないよ。俺の家はすぐ近くだから休んでいけばいい。立てるか?」
 手を差し出すと、彼は思いの外素直に僕の手を取った。
 そうして、そのまま僕は男の肩を支えながら自宅へと向かったのだった。
 
 自宅に着くと、僕は玄関にラバーカップを置きながら男へ呼びかけた。
「いいベッドではないが……座っているのが辛いなら部屋にあるベッドで横になるか?」
 だが、男は黙って首を横に振った。 
「そうだ、冷蔵庫でお茶が冷えているんだ。一杯飲んでいけばいいぞ」
 僕は男を椅子に座らせ、台所へ向かった。
 冷蔵庫から取り出した茶をコップに注ぎながら、僕はあることに気付いた。
 どうも、あの男の顔には見覚えがある気がする。僕はどこかであの男を見たことがあったのではないか。
 だが、会って話をしたという覚えはない。では、どこであの男の姿を見たのだろうか。
 僕は茶が入った二人分のコップを乗せた盆を居間に運ぶと、それをテーブルに置いた。
「具合はどうだ。今日は暑いから喉も渇くだろう」
「ああ、ありがとう。……あ!」
 男がコップを手に取ろうとしたその時、コップがひっくり返り、中身がテーブルの上に零れた。
 零れた茶がテーブルの縁を伝い、床の上にぼたぼたと落ちていく。
 倒れたコップを前にした男はひどく引き攣った顔で、その両手はがたがたと震えている。
「あ、おい。大丈夫か?」
 僕は咄嗟に尋ねた。
「あ……す、すまない……」
 そう答える男の声はまるで熱に浮かされたようで、その顔はまるで取り返しのつかないことをしてしまったとでも言いたげだ。
 だが、茶ならまだいくらか残っているし、床に零れた茶なら雑巾で拭けばいい。僕はそう思っていた。
「お茶ならまた入れてこれる。床は俺が拭いておくからそんなに気にしなくていい」
「本当にすまない……」
 深刻な顔で謝り続ける男を前に、僕はいささか困惑した。
 茶を零すくらいの失敗なら誰にだってあるはずのことだ。それなのに、彼は何故それをこんなにも気に病むのだろうか。
 茶を零す程度の失敗をするたびにそれを深刻に受け止めていれば、それこそ心がもたないのではないか。
 僕は始末をやらせてくれと頼む男を無理やりなだめ、台所から持ってきた布巾で零れた茶を拭き取った。
 それを見ている男はまたしても謝り続けるばかりだ。
「具合が悪い人に始末させるなんてできないし、君は俺からすれば客みたいなもんだ。そんなに気にしなくてもいい」
 僕の言葉に対し、男は何かを言おうとしたがそのまま口をつぐんだ。
 しばらく沈黙が続いた後だった。
 男は再び顔を引き攣らせながら息を吸うと、その両目から涙を溢れさせた。
「お、おい。どうしたんだ」
「すまない、見ないでくれ」
 泣き出した男は僕から顔を逸らすが、それはほぼ意味をなしていない。
「ちょっと待て。手で拭うくらいなら、これを使ってくれ」
 男が鼻をすすりながら服の長い袖で顔を拭おうとするのを認めると、僕は咄嗟に彼の前へと真っ白なタオルを突きつけていた。
 男は申し訳ないという顔でタオルを受け取ると、それに顔を埋めた。
 僕は他人が泣いた顔を服の袖や手で拭う姿を見ていられない。相手には失礼だがどうしてもそれを不潔だと思ってしまうのだ。
 そして、涙や鼻水にまみれた人の顔とはおしなべて綺麗なものとは言えない。綺麗な顔で涙を流すのは演劇の舞台に立つ女優くらいだろう。
 そんな顔を人前にさらすのは泣いている本人も嫌なはずだ。それもまた、僕が男にタオルを手渡した理由だ。
 よく見ると、目の前にいる男のローブは胸の辺りに刺繍が施されており、上質のものらしいことが窺えた。
「そんな綺麗な服の袖で鼻を拭うのはやめてほしいな。汚してしまうのは勿体ないよ」
 僕はやや脱力するように呟いた。
 暫くすると、嗚咽していた男はいささか落ち着いたのか、タオルに顔を埋めたまま途切れ途切れに喋り始めた。
「わたしはやはり、何をしても駄目なんだ。今日はギルドを飛び出してきてしまって……」
 この街のギルドといえば魔術士ギルドのことだろう。この男は魔術士ギルドの人間だったのか。
 男の語ることによれば、彼はどうやらギルドから逃げ出して宛てもなく街をうろうろしていたらしい。
 そして、そうするうちに暑さで気分を悪くしてあの路地で座り込んだまま動けなくなってしまったとのことだ。
「俺にはギルドの事情は分からないが……どうして逃げ出してしまったんだ?」
「それは……」
 男は暫く黙り込んだ。ギルドで余程のことがあったのだろうか。
 そんなことを考えていると、男は掠れた声で答えた。
「特に何も理由はないんだ。ただ、突然何もかもが怖くなった。それだけだ」
「それであの路地でゴミ箱の傍に座り込んでいたのか」 
「あなたもこんなわたしを無様だと思うだろう。どうか笑っておくれ」
 男は自嘲的に呟いた。その口元は引き攣り、笑みを作るかのように歪んでいる。
「お願いだ、わたしを笑っておくれ。蔑んで笑ってくれよ」
 男はそう懇願しながらタオルを握ったままの左手に右手の爪を深く食い込ませ始めた。
 その赤い目は据わっていながらもどこか遠くを見つめるかのような不安定さに満ちている。
 僕は、男の爪が食い込む左手の甲からは血が滲み出していることに気付いたが、本人は右手の爪で左手を抉っていることに気付いていない様子だ。
 そうするうちにも、男の手の甲には赤い爪跡が増えていく。
「おい、やめろ」
 僕は思わずその右手を掴んで左手から引き離した。右手の長く伸びた爪は赤く染まっている。
 そのまま男の右手を見ると、やけに傷跡が目立つことに気付いた。
 それは歯で噛みついたようなものや爪や針など鋭利なもので引っ掻いたようなものだ。
 そして、その時になって初めて僕は彼のローブの左袖に暗い色の染みが広がっていることに気付いた。黒い衣服なので今まで気付かなかったのだ。
「おい、ちょっと左腕を見せてくれ。怪我しているんじゃないか」
 男が拒むより先に左手の袖を掴んで捲り上げると、手首の内側を縦に裂いたような傷が走っていた。
 彼は茶を入れたコップを手に取ろうとしてひっくり返していたが、それは傷が痛かったからなのではないか。
 僕が見る限りでは相当痛みそうな傷だ。ずっと耐えている方が難しいだろう。
「これは手当てしなければいけない傷だな。今まで気付かなくて本当にすまない」
「ああ……」
 もう隠しようがない。男はそう言いたげな気だるい表情だ。
「手当てをするからちょっと待っておくれ」
 僕は救急箱と水を取りに、席を立った。
 
 
 まず傷を濡れタオルで拭い、傷の状態を確かめた。傷口に汚れが入っているわけでないみたいだが念のため洗った方がいい。
 空き瓶に入れた水を傷の上に流すと、血を洗い流され開いた傷口からは桃色の肉が覗き、男は僅かに顔をしかめた。
「少し痛いと思うが、辛抱してくれ」
 傷口が洗われたのを確認すると濡れタオルで軽く拭い、止血するように包帯をややきつく巻いて処置を終えた。
 傷の処置には消毒液を使用する人が多いが、消毒液は傷の治癒を却って妨げることはあまり知られていない。
 これ以上の処置は癒し手に任せた方がいい。
「ひとまずは包帯で止血しておいたが、後で癒し手のところでしっかり処置をしてもらった方がいいだろう。もしかすると縫った方が治りが良いかもしれないしな」
「ああ……」
 さらに、僕は付け加えた。
「あと、それからだ。両手の爪はしっかり切っておいた方がいい」
 先程から僕は男の手を見ていて長く伸びた爪が気になっていたのだ。爪は切らずに伸ばしていれば不衛生だ。
「特に君はいらない傷を増やしかねないみたいだからな」
 そう言ったところでふと、僕は男の名前を知らないことに気付いた。
 思えば、今まで相手の名前を聞く余裕がなかったのだ。
「ところで、先程から君の名前を聞いていなかったな」
 名前を教えてくれないか。そう尋ねる前に男は答えた。
「わたしは……『レントン』という名前だ」
 男の名前を聞いたその時、僕ははっとした。というのは、その名前に聞き覚えがあったからだ。
 二年ほど前に下水道から助け出した行き倒れの男もレントンという名前だったはずだ。ギルド番人がひどく悲しそうにその名前を口にしていたことは今も覚えている。
 確かによく見てみれば目の前の男には下水道で倒れていた男の面影がある。
 では、あの時の男は生きていたのか。無事と言っていいかはやや考えものだが。
 レントンは動揺する僕の顔を見ながら怪訝そうに尋ねた。
「……すまない、どうかしただろうか」
「あ。いや、君とはずっと前に会ったような気がしてだな。俺は『バルザック』という」
「バルザック……か。あなたとは初対面だと思うが……」
 その口ぶりからして相手は僕のことを覚えてはいないようだ。
「しかし、こんな傷をずっと放っておいて痛かっただろう。何故こんな傷を……?」
 僕の問いにレントンは再び黙り込んだ。その表情はひどく困っているようにも考えこんでいるようにも見える。
「話したくない理由なら、無理に話す必要はない。すまない」
 先程の彼の状態からして、どうやらあまり深く踏み込むのは良くなさそうだ。
 暫く沈黙が続く中、不意にレントンが躊躇いがちに口を開いた。
「突然変なことを聞くが……あなたは、今までに死にたいと思ったことがあるだろうか」
 僕は突然の問いに不意を突かれた。この人は一体何を聞くのだろうか。だが、相手は真面目な顔だ。
「死にたいと思ったことがあるかって……そうだな。生きていればそりゃ辛いと思うことはあるが、死にたいとまで思ったことはないな」
「やはり、死にたいと思うのはおかしいことなんだろうか」
 レントンは爪が伸びた右手に目をやりながら話し始めた。
「先程にギルドを飛び出したと言ったが、街をさまよううちに全ての人がわたしを蔑んだ目で見ているような気がしたんだ。それがとても怖くて……」
「だからあんな怯えた顔をしていたのか……」
「そんな中でたまたま子供を連れた母親が通りかかったのだが、その子供が何かを言いながらわたしを指差したんだ。彼は笑っていた」
「ほう」
 僕はレントンの話に耳を傾けながら頷いた。
「その母親は彼の関心をわたしから逸らすようその手を引いていったが、彼女の態度もわたしを『みっともない男だ』と言おうとしているようだった」
 そう語る目の前の男の顔はとても悲痛だ。
 子供とはおしなべて無邪気なものだが、無邪気さゆえの容赦なさを見せることもある。
 そして、そんな子供の言動を咎めるべき大人もまた彼らと同じように容赦ないことを考えていることはとても多い。
 それを言動で示されることは心がひどく傷付きやすい状態にある人間にとってとても耐えられたものではないだろう。
「その子供にも悪気があったわけでないだろう。だが、そこでわたしは気付いてしまったんだ。この街の湖にとても醜い男が映っていることに」
「俺は君のことを別に醜いとは思わないが」
 僕から見ても目の前に座る男の顔は決して醜くはない。ただ、いやに神経質そうだとか陰気だというような印象は持たざるを得ないが。
「人目を避けて路地裏のゴミ箱の陰に座り込んでいても、子供の笑い声が頭を離れなくて気が変になりそうだった。そうしたらいつの間にか……」
 そこで、レントンは自分の左手に視線を落とした。
 ふと、路地裏でこの男を見つけた時のことを思い起こす。あの路地裏に足を踏み入れた時、僕は確か大量のガラス瓶の破片を踏みつけた覚えがある。
「その傷は……」
 思わず尋ねようとしたが、もう問う必要もなかった。
 レントンは消え入るような声で呟いた。
「ああ……だが、これはいつものことなんだ。とてもおかしい話だが、別に死ぬつもりでこんなことをするわけではないのだろう。こんな自分の全てが醜いことは分かり切っている。こんな人間など、死んでもいいとさえ思えてくる」
 そのうち、僕は胸のあたりがやけにむかむかすることに気付いた。この男は何故そこまで自分自身を無下に扱うのだろう。
 目の前の男を殴りたい衝動に襲われた僕はこぶしを強く握りしめ、それを抑え込んだ。
 ここで暴力に訴えても仕方ない。僕は深く息を吸い込んだ。
「レントン。俺からは君に死ぬなと言うことはできない。だが、君が死ねば俺たちがその死体の後始末をしなければいけないんだ」
「あなたが……死体を? 」
「言い忘れていたな。俺たちは普段この街の掃除をやっているんだが、必要な時は死体処理の仕事をすることもある。あまり褒められたような仕事ではないが……」
 この街では通常、死体の始末は清掃員が行っている。そうした事情もあってこの清掃員という仕事が尊敬の目を向けられることはない。
 だが、死体を放置しておけばそれはやがて腐敗し、人々へ様々な病をもたらす元となってしまう。それ故に誰かがしなければならない仕事なのだ。
「この街にも家などで誰にも気づかれないまま一人ぼっちで死ぬ人間がいる。大抵そんな人間の死体は外に腐敗臭が漏れたとか虫が湧いたとかで気付かれるものなんだが、彼らの家の掃除をしに行くこともあるんだ」
「この街には芸術家が多いことは君も知っていると思うが、あいつらは孤独を好む奴が多いから尚のことそんな風に死んでいく奴も多い。この間掃除に行った家も芸術家のだった」
 ――芸術家。この言葉を耳にした瞬間、レントンの表情が歪んだ。
「つい変な話をしてしまったな。すまない」
「いや、もっと聞かせておくれ……聞きたいんだ。続けてくれ」
 そう哀願するレントンの表情は苦痛に満ちていた。本当に話を続けてもいいのだろうか。
「……俺たちがこの間死体処理にあたった芸術家は誰にも気付かれないまま部屋で一人死んでいた。その死体はかなり腐敗が進んでいて、元の顔や年齢どころか男か女かすら分からなくなっていたんだ」
 部屋中を飛び回る羽虫。どす黒い体液が滲んだボロボロの絨毯。テーブルの上のカチカチになったパンと僅かな金貨。床に散らばる何枚もの絵とその上を這い回る無数の蛆虫。
 あの青年は生活にも困窮していたのだろうか。それでも彼は絵を描くのを最期までやめなかったらしい。
「死体を見るのはやはり辛いことなのだろうか」
 レントンは尋ねた。
 確かに、初めて死体処理にあたった時は食事もまともに喉を通らず、夜には繰り返し悪夢を見続けていた記憶がある。
 今では食事ができなくなるとか悪夢を見るといったことも減ったが街の清掃のかたわらで行っている死体処理の仕事には今もなお慣れることができない。
「そうだな。死体を見るのもその処理をするのも中々辛いものがある。俺は蛆虫にたかられながらボロボロに腐っていく君の姿なんて見たくないな」
 そう答えた僕に対し、レントンは恨めし気に問いかけた。
「それはやはり死体が醜いからなのか? それとも、死体になった人間に触れたくないからなのか?」
 僕を睨みつける彼の目はどんよりとした鈍い光を放っている。
 僕はその充血した目に何とも言い表せない恐怖を感じて震え上がった。
「いや、そんなことではないんだ。落ち着いて聞いてくれ」
「すまない……どうかしていた」
 怯える僕を認めたレントンは今まで僕に見せていたひどく悲しそうな表情に戻った。
 僕は囁くように話を続けた。
「さっきは一人で死んでいった芸術家の家の話をしたが、彼の部屋には何枚もの絵が残されていたんだ。あとは絵描き道具と僅かな金貨、硬くなったパンだけが残っていた」
「彼も、画家として成功しないまま人生を終えてしまったのだな……」
「そうだな……おそらく生活にも困っていただろうが、死ぬまで絵を描くことだけはやめなかったのだろう……」
 大抵の人々はかつて人間だったはずの死体を見ては「汚い」だとか「臭い」と言うが、腐乱した死体に対してそうした感想を抱くことは仕方ない。
 だが、もしその死体が彼らにとって顔見知りの人間であったとしたらそんなことを言えるはずがないだろう。
「例え見知らぬ人間の死体でも、蛆虫に食い荒らされて人の姿をやめてしまったような死体でも、かつては俺たちと同じような生活や人生があった」
 そこで、僕は思わず咳き込んだ。ずっとしゃべり続けているからだろう。
「すまん、喉がかれてだな。それからだ、俺たちは死体処理と同時に死人の遺品の処分もするのだが、それはその人の生きていた証を消していくようでどうにもやるせなくなるんだ」
「遺品……か」
 レントンは熱に浮かされたような顔で呟くと、それっきり黙り込んだ。
「おい、どうしたんだ?」
 僕が呼びかけても彼は呆けたまま返事をしない。光を失った目はどこか遠くへと向けられている。
「おい。大丈夫か?」
 先程より大きな声で呼びかけると、レントンの目に光が戻った。
「ああ……大丈夫だ」
 だが、彼の表情は引き攣り、視線はぐらぐらと揺らいでいる。
 何度も繰り返される瞬きと共に鈍い光が不安定に渦巻く赤い目は、もう話を聞き続けることに耐えられないと語っていた。
「すまん。こんな話、無理に聞こうとしなくてもいい」
「すまない……」
 レントンはそれ以上の言葉を続けることができず、そのまま泣き崩れた。
 そして、彼は激しい嗚咽の中で言葉を絞り出すように呟いたのだ。
「この街はやはり……多くの人やものが人知れず、失われていく場所なんだな。いや、この街だけでなくこの世界が…………」
「本当にすまん。もう泣かないでくれ」
 僕にはただ、そんな言葉をかけることしかできなかった。
 やがて、いくらなだめても泣き続けるレントンを見るうちに罪悪感がひたひたと押し寄せた。
 僕はどうしてこんな話をしてしまったのだろうか。
 ただ僕は死体と向き合う中で感じていた辛さを一方的に吐露したかっただけだったのではないか。
 それはこの人をさらに絶望させることになったのではないか。
 でも、そもそもこの人がこんな話を聞かせてくれと言ったのだ。
 話を聞いておいてなりふり構わず泣くくらいなら、最初から聞かせてくれなんて言わなければ良かったのではないか。
 自分のした話で相手にここまで泣かれるとこちらもつらくてしかたない。
「どうしてこの世界で生きていかなければいけないのか分からない、こんな世界で生きる価値が見出せないんだ」
 その言葉を引き金に、僕の抱いていた罪悪感は突然にレントンへの怒りへと形を変えた。
「……そんなに生きるのが嫌なら、俺は君を止めはしないよ。いや、俺なんかに君を止められないだろう。だが、誰も困らせないように死ねばいい。俺は君の死体の処理なんてしない」
 気が付くと僕は怒りにまかせてそんな言葉を吐いていた。
 僕の言葉に、レントンは目を見開いた。涙でぐしゃぐしゃになったその顔には濡れた前髪がべったりと貼りついている。
 彼は口を小さく開いたまま唇の端を引き攣らせるだけで、その様子からは大きな衝撃を受けていることが読み取れた。
 その大きく見開かれたままの目からは涙が零れては頬や顎を伝い落ち続けているが、それを拭うことも忘れてしまっているかのようだ。
 その様子を見るうち、僕は心底から目の前の男が哀れに思えた。
 一体何が悲しくて、自分よりかなり年上であろう男の泣いた顔を眺めなければいけないのか。
 でも、それは元々僕の蒔いた種だ。だからもう仕方ない。
 僕は何かを諦めたような思いでうんざりとしながら語りかけた。
「……君の死体を見ても放置するだなんて嘘だ。死体は放置していたら恐ろしい病気の元になるからな」
 いくら嫌な人間の死体でもそれを放置し、街の衛生を守るという責任を放棄すれば掃除屋として失格だ。
「それからだ。まさか、森の奥とか誰にも見つからない場所で死のうとか思っていないだろうな。そうすれば君は『行方不明者』になる」
 仮に森の奥など人が寄りつかない場所で死んだとしてもその人は「行方不明者」として扱われ、多くの人がその人を捜すこととなる。
 もし死んだ場所が危険な場所であれば死体を捜す中で犠牲になる人間が出ることもあるかもしれない。
「行方不明者を捜すのは危険が伴うこともあるんだ。そんな時は命を落とす人が出ることだってあるだろう。君だってそれは分かるはずだ」
「……」
「もちろん、この街にある下水道に身を投げるのも駄目だ」
 黙ったままのレントンに対し、僕はさらに毒づいた。
 その時、レントンが顔を妙に引き攣らせたのを僕は見逃さなかった。
 彼は何かを言いたげに口をぱくぱくと動かしたが、掠れた声を漏らすだけだった。
 少し言いすぎてしまっただろうか。
 そう考えたところで、先程自分の吐いた言葉に対する罪悪感がふつふつと湧き出てきた。
 死にたがっている人間に対して死ねばいいなどの突き放すような言葉を吐くなんてやってはいけないことのはずだ。
 仮に目の前の男が僕の前で死んでしまったとすれば、それは到底耐えられるものではない。
「……きついことを言ってすまん。俺は君が死んでしまうなんて考えたくもない。俺個人の気持ちとしては君には死んでほしくないんだ」
 僕のこの言葉には多分嘘はないはずだが、それを吐露したところで胸のもやもやは取れなかった。
 レントンは手で顔を拭おうとしたところでその手を止め、先程から右手に握っていたタオルの存在を思い出したかのようにそれで顔を拭った。
「わたしの方こそ取り乱して本当にすまない。そうだな、どんな方法で死んでもきっと誰かの手を煩わせることになってしまう。あなたには話しておきたいことがあと一つあるのだが、また話をする機会があった時に話してもいいだろうか……」
 レントンはそこまで話したところで口を閉じ、無理やり涙を止めようとするかのようにタオルを目と鼻の辺りへ何度も押し当てた。
 彼の話したいこととは何だろうか。やけにそれが胸に引っ掛かった。
 だが、今までの彼の様子からすれば無理に聞くことはしてはいけないだろう。
「ああ、いいんだ。話せるようになってから話してくれればいい……そんなに目をこするのはやめた方がいい。瞼が腫れてしまう」
 僕は、すっかり目を腫らしたレントンを軽く諌めながら窓の方へと目をやった。
 窓の外では、陽が傾き始めていた。
「ああ、そうだ。ギルドの方には戻らなくても大丈夫なのか?」
 僕が問うと、レントンはいささか怯えたような顔を見せた。どうやら大丈夫ではなさそうだ。
「どうやら早めに戻った方がいいみたいだな。そんなに怖がることはないだろうよ。ギルドの人間も君のことを心配しているんじゃないか」
「……そうだな。勝手に逃げ出してきたのだから咎められても仕方ない。そろそろ失礼させてもらおう」
 レントンは半ば観念したような表情をしながら椅子から立ち上がった。
「ああ。玄関のところまで送るぞ」
 そうして、僕はレントンを見送った。
 
 レントンを見送り、居間に戻った僕はため息をついた。
 家に人を招き入れるのはどれくらい久しぶりのことだっただろう。
 この部屋は人を招いてもいいように毎日綺麗に掃除していたが、人を招くことなど殆どなかった。
 清掃員の仲間とは少なからず関わりはあるが、それはあくまで仕事上での付き合いだ。
 決して知人がいないわけではない。だが、自宅に招き入れるほど親密な人間がいるわけでもない。
 そして、僕は特に職業ギルドに所属しているわけでもないのでそうした繋がりもない。
 そんな僕もまたあの孤独死した芸術家と同じように孤独なのではないか。
 僕がいつか死ぬ時、僕を腐乱死体になる前に見つけてくれる人間はいるのだろうか。
 そして、死んだ僕に花束をたむけてくれる人間はいるだろうか。
 もし僕が死んで腐乱死体になったとしたら、その死体はゴミのように片付けられていくはずだ。
 人は死んでただの肉塊になった瞬間から腐っては虫を呼び、街の衛生や景観を害するゴミでしかなくなるのだろう。
 そんなことを考えるうち、僕は妙な悲しさに襲われた。
 意味もなく部屋を歩き回ってみるが、それで胸のもやもやが晴れることはない。
 そこで何気なしにテーブルの方へ目をやると、椅子の背もたれに淡い紫色の布が引っかけられていた。
 それはレントンが身に着けていたスカーフだった。どうやら椅子にかけたまま忘れていったらしい。
 これは今ギルドへ届けに行くべきだろうか。だが、もう陽は沈みかけている。
 これはやはり本人が取りにくるのを待つべきだろう。それまではここに置いておいた方がいい。
 それにしても、今日は面倒くさい人と関わってしまったものだ。そのせいで普段よりも増して疲れた気がする。
 相手はこの家に忘れ物をしていったのだから最低でもあと一度ほどは顔を合わせることになるだろう。
 だが、それを別に悪いことではないと思っていたのだった。
 
 *おしまい?*
 

 
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