資源ゴミ置き場
あまり健全ではない文章を置いていく場所だと思います。
風速150m(2)
(まえがきのようなもの)
この文章は、引き続き「くだらぬ妄想の」の文章となっております。
主にこれの裏面エピソードのようなものです。主に15円の人視点。
15円の人は相変わらず不安定だしかなり病んでいます。かざぐるま視点の分と一人称が違うのは仕様です。
先程から、頭ががんがんと痛み、瞼がひりひりと痛み続けている。
でも、この痛みの理由なら分かりきっている。頭と瞼が痛むのは何時間も泣き続けたせいだ。
オレは考える。こんな自分の身に一体何があったのだろうと。
何故こんなことを考えないといけないかというと、この一日の記憶が殆ど失われていたからだ。
記憶喪失といえば自分が今までどのように生きてきたかとか、自分が何者かなどを全て忘れるものが有名だが、オレは決してそんなものではない。
ただ、この一日の記憶が洪水で破壊された街か、炎に焼かれて更地と化した森のようにぽっかりと空いてしまっている。
そこで、ふと幼い頃に読んだ不思議の国のアリスの絵本のことが頭をよぎった。
あの物語では、うさぎの穴に落ちたアリスは大小の扉がいくつも並ぶ広間に迷い込む。
そして、扉の中から女王の庭園に続く小さい扉を見つけて何とか通り抜けようと画策するのだがそれは全て失敗に終わってしまう。
アリスは背丈が三メートル近くの大女になった際にとうとう泣き出し、何十リットルもの涙を流して広間を水浸しにしてしまう。
その結果、海のように広い涙の池だけが残って広間も女王の庭に続く扉も消えてしまった。
それから、あの物語の涙の池の章で大女になったアリスは泣きながら自分のことを叱り続ける。こんな大きななりで泣くなんて恥ずかしくないのかと。
後から知ったことだが、あの物語中でアリスはまだ七才の幼子なのだという。
その時は、まだ七才の少女が泣く自分を叱り続けることを何と残酷なのだろうと思ったものだ。
現に、いい歳して記憶を失うほど泣いていた男がここにいる。それを思うと、アリスはあまりにも自分に厳しすぎるだろう。
オレの記憶は、あの物語の広間と同じように涙と共に押し流されてしまったのだろうか。
部屋を見回し、傍にあるくずかごに目をやると、乾きかけの丸めたティッシュがいくつも中に投げ込まれていた。
オレはどうやらこの部屋で泣き続けていたようだ。こんなことをいちいち考えるのも馬鹿馬鹿しいのだが。
次に、オレは壁に吊るされた時計とカレンダーに目をやった。時計の針は〇時二十三分を指している。それから、今日は七月十五日の日曜日だ。
十五といえば十五をアラビア数字で書くと「15」になる。更にそれを分解したら「いちご」と読むこともできるだろう。
そこで、オレはあの娘が食べていたいちご飴のことを思い出し、近くの神社で縁日が開催されていたことを思い出した。
――ああ、そうだった。オレはあの娘を縁日に誘ったのだ。
記憶というものは不思議だ。何気なく目にしたものや聴いたものなどを引き金に先程まで忘却の海に沈んでいた記憶が浮き上がってくるのだから。
そして、浮き上がってきた記憶はまた別の記憶も呼び起こしてくるのだから厄介だ。
あの娘とは、前に入院していた病院で出会った。いや、「出会った」というのはおかしいだろう。
あちらは覚えていない様子だったが、少なくともオレは昔のあの娘のことを知っていたのだから。
幼い頃のあの娘は、とても活発で外を駆け回る、「風の子」という言葉が似合うような子供だった。
そんなあの娘が、オレと同じ病棟に患者として入院してきたのだ。
それを知ったのは、病室前の名札を見た時だった。その時はまさかあの娘がこんなところに来るわけない、きっと同じ名前の別人だと思っていたのだが。
病棟内で再会したあの娘はガリガリに痩せ細っていて、幽霊と見紛うような風貌に成り果てていた。
オレはそんなあの娘に近づいた。初対面のふりをして。
病棟のルールを教えるだとか、ホールで会話するだとかそんなことをした。
あの娘からは、理由の分からない食欲不振が原因で痩せすぎて何度も倒れるようになってしまったことや、主に身体の治療をするため入院することになったという話を聞かされた。
それから程なくして、オレはあの病院を出ることになった。いや、主治医に頼み込んで半ば強引に退院したのだ。
何故かというと、病んだあの娘の姿を見ることに耐えきれなくなったからだ。
つまり、オレは逃げてしまったのだ。
退院してからのオレは漸く決まったバイト先でも失敗だらけで友人もなく、煙草を吸うくらいしか楽しみがない灰色の日々を過ごしていた。それは今も同じだ。
そんなある日、オレはあの娘と病棟で連絡先を交換していたことを思い出してメッセージを送ってしまった。
どうしてそんなことをしたのかは今も分からない。眠剤を飲んで気が大きくなっていたからだろうか。それとも、寂しかったからだろうか。
いずれにせよ、それをきっかけにあの娘はオレと会うようになった。退院していたあの娘はまだ痩せていたが、幾分か生気を取り戻していた。
そして、今日は――いや、昨日の土曜日はあの娘と縁日に行っていたのだ。
そうだ。思い出した。あの娘は髪を切ったようで、とても可愛らしくなっていた。
そして、オレはそんなあの娘を前に気分が高揚してやたらと饒舌になってしまい、無神経な話もしてしまった。
普段のオレは他人と上手く喋ることができない。だから、バイトの休憩時間など会話を避けたい時はついつい煙草を吸ってしまう。
巷では「喫煙者同士は煙草を介したコミュニケーションを取りやすい」などと言うが、冗談じゃない。
バイト先の喫煙室では、確かに同僚たちが煙草を吸いながら談笑しているのを目にする。
でも、オレは談笑はおろか他人と目を合わせて話をすることすらできない。人と視線を合わせるのは怖い。咄嗟に雑談しようにも天気の話くらいしか思いつかない。
オレはいつからこんな人間になってしまったのだろう。二十代の頃に職場で上司に虐められてからだろうか。いや、それ以前から人と上手く喋れないのは同じだったような気がする。
オレはいつもそうだ。普段は視線を不自然に泳がせながら曖昧に笑うだけでろくに喋れないくせに、少し調子に乗れば相手のことも構わず思いついたことをべらべらと喋ってしまう。
きっと、オレがこんな人間になったのも前の職場で上司に嫌われたのもひとえにオレがクズだからなのだろう。そう思っていれば楽だ。
――――こんなことを考えていたらまた涙が出てきた。瞼が切れてしまいそうなのでいい加減にしてほしい。
ああ。また一つ思い出した。今日のオレはあの娘の前で泣いてしまったのだ。そして、あの娘の腕を掴んで傍にいてほしいと縋り付いてしまった。
いい歳の男が、年端も行かない少女の前で無様に泣いて縋るなんて最悪だ。
あの娘は、何も言わずこんなオレの傍にいてくれた。でも、今日のことで嫌われてしまった、と思う。
いや、嫌うも何も最初から好かれてなんかないだろう。一体誰がオレのことを好きになる。
第一、あの娘はこんな三十路の社会不適合者に貴重な時間を使うべきじゃない。だから、嫌ってくれたなら幸いだ。
それなのに、オレは今日のことを悔やんでいる。卑怯にも、先程のように忘れたままでいたかったと思っている。
オレは、こんな自分のことが大嫌いだ。死んでしまえばいいのに、と思う。
そうだ。きっとオレはあの娘に一言背中を押されたなら潔く死ねるだろう。
言葉のナイフで一思いに刺し殺してほしい。
いや、こんなことを望んではいけない。こんな望みを抱くなんて身の程知らずだろう。
もしオレが死んだら、あの娘は悲しんでくれるだろうかなんて考えてはいけない。
悲しんでくれたとしたら、それだけでもこの存在が無価値でなかった証だから気持ちが救われるとか考えてはいけない。
傷だらけになった体を憐れんでほしいとか、体以上に傷付けられて歪んだ心を慰めてほしいなんて考えてはいけない。
むしろゴミを見るような目で蔑んでほしいとか、この鈍い頭を踏みにじってほしいなんて考えてはいけない。
それなのに、考えることをやめられない。何かあればあの娘のことを考えてしまう。
そう。オレはあの娘に依存している。そして、執着をしている。
何を望んだとしても、それはエゴでしかない。
――――こんな自分を、オレは心底から浅ましいと思う。
*おしまい*
(おまけの与太話)
15円の人周りのイベントは何だかかざぐるまに対する執着心のようなものを感じて心底からやばいなと思いました。
かざぐるまは退院しても「治ってはいない」と筆者は考えているのですが、かざぐるま編のTrue endで待っている彼はもしかしたら病みながら病院の外で生きている人のロールモデルの一人になるのかもしれないとかそんなことを考えていました。
でも、彼の姿はかざぐるま本人にとって理想とは言えなさそうです。
*おしまい*
(おまけの与太話)
15円の人周りのイベントは何だかかざぐるまに対する執着心のようなものを感じて心底からやばいなと思いました。
かざぐるまは退院しても「治ってはいない」と筆者は考えているのですが、かざぐるま編のTrue endで待っている彼はもしかしたら病みながら病院の外で生きている人のロールモデルの一人になるのかもしれないとかそんなことを考えていました。
でも、彼の姿はかざぐるま本人にとって理想とは言えなさそうです。
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風速150m
(まえがきのようなもの)
この文章は、ゆめにっきファンゲーム「くだらぬ妄想の」のかざぐるまと神社にいるあの人(通称15円の人・15円おじさん)のお話です。
これといった致命的なネタバレはしていないものの該当作品をプレイしてからの閲覧を*強く*お勧めします。
かざぐるまと15円の人の境遇などの大半が捏造なのでご注意ください。二人共かなり病んでいます。
あの人と最初に出会ったのはいつだったのか。どこで出会ったのか。それは今となっては思い出せない。
ただ、「気が付いた時にはいた」としか言いようがない。
ああ、そうだ。前に入院していた病院でたまたま会ったのが初めてだったかな。
ぼくも、あの人も、患者として入院していた。
あの人は、一ヶ月ほど入院していたと言っていたっけ。確か、前の職場で倒れたとか言っていたような気がする。
薬の飲みすぎだったと言っていたっけ。それとも、お酒の飲みすぎだと言っていたっけ。それは忘れた。
あの人の腕は赤い切り傷だらけで東北の辺りで生産されているらしい赤筋の大根みたいだった。
ぼくは、リストカットなんてする人の気持ちが理解できない。腕を切っても何かが変わるわけじゃないし、大体腕に傷跡が残って汚くなってしまう。
汚い腕じゃ可愛い服だって浴衣だって着れなくなってしまうし。
クラスの女の子にも何人かリストカットをしている子はいたけど、体育の日は暑くてもジャージを着なくちゃいけないし夏服でもカーディガンが手放せないみたいだった。
そんな面倒くさいことになるのに、どうして手首なんか切っちゃうんだろうね? 分からないや。
ぼくの方はといえば、正直自分がどうして入院していたのかはっきり分からない。
確かに、学校に行くのが嫌になったり理由もなく憂鬱な気分だったりしたことはあった。
漢字のテストで思ったよりいい点が取れなかったとか、英語の小テストの範囲を自分だけ間違えて覚えていたとか、そんな些細なことで気分が悪くて立ち上がれなくなるほど落ち込んだこともあった。
でも、それだけで病気なんてわけがない。そんなの、みんなにもあることでしょう?
あとはそうだ。何となくみんなと同じ食事をするのが嫌になってバカみたいに痩せたことならあった。
別に自分がおデブさんだと思ったわけじゃないしダイエットがしたかったわけでもないんだけど。
何となく少しの野菜と果物(これは何故か普通に食べられた)だけで一日の食事を済ませるのを続けていたら学校で何度も倒れるようになっちゃったんだったな。
確か、そのせいで栄養状態が大変なことになっていたんだっけ。そのせいで心臓が止まってしまうかもしれなかったとか。ぼくが知っているのはこれだけ。
入院してからは毎日点滴を入れられて、体重が40キロを超えるまで退院はできないとか言われていた。
あと、食事を吐いていないかチェックされた。ぼくがそんなバカなことするわけないのに。
でも、あまりにそう言われたら吐いてみたくなって一回だけトイレで吐こうとしてみたけど無理だった。やっぱり食べたものをわざわざ吐く人の気持ちは分からないや。
吐くくらいなら最初から食べなければいいんだ。だからぼくは食べなかった。
それから、病院はやっぱり退屈でやたら歩き回った。そうしたら安静にしていなさいと叱られちゃったんだけど。
一度、看護師さんの反応を見てみたくて点滴の針を抜いたら烈火のごとく怒られた。だから、それ以降は大人しくすることにした。
心電図まで付けられて、仰々しいなあと思っていたんだけどお姉ちゃんがとても悲しそうだったのを忘れられない。
そうこうして過ごすうちにぼくの体重はどんどん増え続けて軽く40キロを超えた。
ぼくはせっかく減った体重が元に戻っていくのが少し残念だったんだけどそれでもまだ痩せすぎているらしい。
でも、人がどんな体重だろうと勝手でしょうとぼくは思う。おデブさんだろうと、ガリガリだろうと、人に迷惑がかからなければいいんじゃないのと。
あと、体重が40キロを超えてからは暫く止まっていた生理が来るようになった。生理が止まっていたのは便利だと思って気にしていなかったんだけどやっぱり生理が止まるのも良くないことだったとお医者さんから言われてしまった。
でも、体重が元に戻って生理が来るようになったおかげで退院の許可が下りたからいいか。
そうそう。ぼくのことはここまでにして話を戻そうか。
あの人は、ぼくが看護師さんやお医者さんとくだらぬバトルを繰り広げている間に病院からいなくなっていた。
もう二度と会うことはないだろうなあと思っていたのだけどそれはとんだ間違いだったらしい。
あの人ことおじさんは、いつの間にかぼくの近くにいた。そうとしか言えない。
そして、今のぼくはおじさんと縁日で露店を歩いている。
その時になってこの人が36才になることとか初めて知った。最初は23才くらいかなと思っていたから驚いたな。
何でこんなに若見えするんだろう。外見の年を取らない呪いか成長が止まる呪いでもかけられているとしか思えない。
「ビールかあ。いいねえ。でもね、僕はうつ病の薬を飲んでいるからお酒は止められているんだ。薬とお酒を一緒に飲むと心臓が止まってしまうかもしれないって散々言われていてさ。そういえば、かざちゃんも未成年だからお酒は飲めないね」
おじさんは露店をきょろきょろ見ながらぺらぺらと聞いてもないことを喋り続けている。
どこかくたびれた感じとか、へらへらしているくせに目が全然笑っていないところとか、どこか病んだ感じなのは病院で会った時と全然変わっていないんだけど、それってつまりまだ治っていないってことだよね?
ぼくも、病院にいた頃と変わっていない風に見られていたら嫌だなあ。これでもぼくは治っているつもりだ。
その時、りんご飴やいちご飴を売っている店が目に留まった。
ぼくはすかさず店の前に駆け寄り、店番のおばさんの前で200円のいちご飴を指差す。
りんご飴を選ばなかったのは大きすぎて飴の欠片を落としそうだからだ。
おばさんに200円を渡して受け取ったいちご飴にぼくは歯を立てた。
おじさんはそんなぼくを嬉しそうに眺めている。別にそんなに嬉しそうに見なくてもいいのに。
ぼくがいちご飴を食べ終わるや否や、おじさんが喋り始める。
「ねえねえ、知っているかい? 『苺』って漢字で書くとくさかんむりに『母』と書くけれど、あれって苺の形が女性の乳首に似ているからなんだよ」
と。
それを聞いた時、ぼくは凍りついた。これって一歩間違えたらセクハラだ。
でも、おじさんはあくまでそんなことを気にしていない様子だ。それか、本当に気付いていないのかもしれない。
「……へえ、そうなんだ。おじさんって物知りなんだね……」
ぼくは口元が引きつりそうなのを抑えて笑顔を作った。
「いやあ。嬉しいなあ。昔から勉強をすることだけは好きだったんだ。でも、数学は苦手でね。かざちゃんは何か好きな科目あるの?」
「……うーん、別にないや。でも、理科の実験は少し面白いと思うかな。あとは美術か」
ぼくは別に勉強が好きなわけじゃない。数学も英語もからっきしだ。現代国語だけならあまり勉強しなくてもそこそこいい点が取れるくらいで、古典になるとこれが同じ日本語なのか?と疑いたくなる。
「へえ、美術かあ。かざちゃんの絵、見てみたいなあ」
「見せないよ。ちょっと面白いと思うくらいで下手くそだし」
「ええ、ひどいなあ」
おじさんは相変わらずへらへらとした笑みを浮かべている。
そういえば、さっきから気になっていたんだけどおじさんが近くにいると何だか臭い。
臭いとは言っても、不潔な臭いではない。
では、何なのかというと煙草くさいのだ。それに加え、洗剤か柔軟剤の臭いが混じっている。
そういえば、病院にいた時もおじさんはよく喫煙室で煙草を吸っていたっけ。
おじさんの傍で息を吸うと、煙草と洗剤か柔軟剤の混じった臭いが鼻腔内に充満して不愉快だ。
でも、率直に「臭い」と言うのはデリカシーがない。だけど、敢えてその言葉を口にしてみたくなってしまったのだ。
さっき、いちご飴の時にセクハラ紛いのことを言われているんだからそれくらい許されるよね?
「そういえば、おじさん」
「ん? どうしたんだい?」
「おじさんって煙草とかよく吸うの? おじさんの近くにいたら煙草くさいんだけど」
僕が尋ねると、おじさんは白いTシャツの袖に鼻を埋めてすんすんと息を吸った。
「煙草は吸うけどそんなに臭うかなあ?」
「すごく臭い。おじさんの鼻、バカになってない?」
「ひどいなあ。これでも毎日お風呂には入っているし、洗濯だって毎日してるんだよ? 洗剤や柔軟剤もたっぷり使ってさぁ」
洗剤の臭いが鼻につくのはどうやらそのせいらしい。毎回洗濯のたびにどれだけ洗剤と柔軟剤使っているんだよ。
「おじさん、ちゃんと洗剤の分量とか計ってる? 洗剤の臭いもひどいよ」
「いやあ、計ってないよ。たくさん入れるほどよく汚れが落ちる気がして。それに、計算ごとは苦手でね」
「おじさんの横にいたら臭いから嫌!」
ぼくは無性に腹が立ち、目の前の社に続く階段をずんずんと上り始めた。
「ああっ、かざちゃん。待ってよお。機嫌直してってば」
おじさんが後から付いてくるけれど構うものか。
そうはいっても、ぼくもこの階段は少しきつい。いや、少しどころじゃなくかなりきつい。
心臓がどくどくと毒々しい音を立て、息が切れる。昔はこんな階段、軽く上れたはずなのにおかしいなあ。
やっぱり、バカみたいに痩せたのが悪かったのかな。それとも、退院した後も肉をあまり食べないのが悪かったのかな。
そういえば、ホセくんとかお姉ちゃんと焼き肉に行ったってぼくは肉を2、3枚ほど食べただけで後はフルーツばかり食べていた。
何とか階段を上りきった頃には頭がガンガンと痛んでへたり込んでしまった。
そんなぼくの傍で、おじさんもぜえぜえと息をしながらへたり込んでいた。
「……かざちゃん。小さい頃はこんな階段なんてひとっ飛びとでもいうくらい軽く上っていたのにね、昔はとても明るくて元気な子だったじゃないか…………」
「……え? 小さい頃って何? ぼくには覚えがないんだけど」
ぼくは、この人の言っていることが理解できなかった。小さい頃って何? おじさんはぼくを昔から知っていたってこと?
「……そうか。かざちゃんは覚えていないんだね。昔はよく一緒に遊んでいたのにね。僕がまだこんなクズじゃなかった頃のことも忘れちゃったんだよね」
おじさんは大きく咳き込むと、そのまま俯いてしまった。
忘れたことがそんなにこの人を傷付けたのというのかな。でも、記憶にないのだからどうしようもない。
そんなことを考えている間にも、おじさんは咳き込んでは苦しそうに呼吸を繰り返している。
「…………こんな階段、僕にはもう無理だ。煙草なんか吸っていたらすぐに息が切れてしまう。きっと、こんな身体じゃあまり長く生きられない」
この人はどうやらかなり煙草を吸っているらしい。そんなに苦しいなら煙草なんてやめたらいいのに。煙草を買うのも、たばこ税とかでかなりお金を使うんでしょう?
肺を傷付けて、金銭的な負担をかけてまでして吸わなければいけないものなんだろうか?
「それじゃあ、煙草やめたらいいじゃん。やめたらちょっとは体調も良くなるんじゃない?」
「いや、煙草をやめる気はないよ。僕はね。こんな人生、煙草くらいしか楽しみがないんだ。何を食べても美味しくないし、仕事は失敗ばかりで長続きしないし、お酒は医者に止められちゃっているし。それに、こんなクズな自分は大嫌いだし、こんな人生に願うことなんか何一つない」
そんなことを言いながら、おじさんは力なく笑った。
「あのね。かざちゃんと病院でまた会えた時、少し嬉しかったけどそれよりもずっと悲しかった。かざちゃんも『こちら側』の人間になっちゃったんだと思って。一度心を病むとね、その先の人生はとても苦しいものになるんだ。今もそういう人への偏見は根深いからね。友達も恋人も離れていくし、家族からも白い目で見られる。僕はね、そんな風にして周囲の人間と病気に追い詰められて自ら命を絶つ人を何人も見てきた」
おじさんは、まるで呪文でも唱えるように喋り続ける。
ちょっと待ってほしい。この人は一体何を言っているんだろう?。
こちら側? こちら側って何? ぼくには何のことだかよく分からない。
「そんなこと言われても、お姉ちゃんは相変わらず優しいしホセくんは相変わらず友達でいてくれているよ? ……確かに、友達は少ないけどさ」
「……そうか。かざちゃんは幸福者だ。たとえ気を遣われているだけだとしても、そういう人がいるだけ恵まれている」
おじさんはそう呟くと、また俯いてしまった。そして、頻りに鼻をすすり続けている。
そして、おじさんの座り込んでいる石畳にはぽつぽつと斑のような暗い影が落ちていく。
この人は泣いている。それを理解するのに時間は要さなかった。
「何も願うことなんかないなんて嘘だ。本当はね、僕だって『普通』に生きたかった。普通に学校を出て、普通に就職をして、普通に結婚をして、普通に子供を可愛がって…………どうして僕はそれができないのだろう。ねえ、僕は一体どこで足を踏み外してしまったのかなあ。こんな気持ち、かざちゃんには分からないよね? いや、ずっと分からなくていい」
さっきまでへらへらと笑っていた人が今はぐずぐずと泣きじゃくっている。
人の感情というのはこんなにも目まぐるしく移ろうものなんだろうか。
これではまるで、吹く方向が定まらない風のようだ。
泣いているおじさんの瞼や鼻は、元々色白なせいで赤く腫れているのが嫌に目立っている。そして、流れた涙は鼻先からも滴り落ちている。
人の泣いた顔ってこんなにも不細工なものなのか。
正直に言えば、この人はそこそこきれいな顔をしている。それが、泣いてみればこのひどい有り様だ。
ぼくは、目の前で泣きじゃくるこの男が得体の知れない不気味な生き物に思えて仕方なかった。
「かざちゃん」
不意に、おじさんがぼくを呼んだ。
そして、気が付くとおじさんはぼくの左手首を掴んでいたのだ。
「ちょっと、おじさん。痛い、ちょっとやめてってば」
おじさんは病気とはいえ、結構な握力があるらしい。手を振りほどこうとしたが、それは無理だった。
「ねえ、お願いがあるんだ…………しばらく、傍にいてほしい。逃げないでほしい。どこにも行かないで」
おじさんの手に目をやると、Tシャツの袖口から平行に並んだ新しい傷が覗いている。
その赤線を認めると、背筋が凍るほどの憐憫の感情が押し寄せた。
そして、逃げようとしていたぼくはおじさんの右隣に腰を下ろしていた。
「かざちゃんは、とても優しいね。本当にごめんね」
おじさんはぼくの手首を掴んだまま、呟いた。
その時、風が吹いてあの煙草と洗剤の入り混じる臭いが鼻を掠めた。
*おしまい*
(おまけのような文章)
筆者はかざぐるまの病気を心の病だったのかもしれないと考えています。
15円の人のイベント後にかざぐるまの部屋が緑色に染まる演出は嗅覚に訴えかけるものを感じました。煙草と洗剤は筆者の完全なイメージ。
彼は最初に姿を見た時にあまり健康的な印象がなかったのとjose編で会える場所が場所だけにもしかしたら患者だったのかもしれないという可能性を思い描いてしまいました。
あと、彼が感情を剥き出しにした姿はかざぐるまにとって醜悪に映ったのかもしれません。
*おしまい*
(おまけのような文章)
筆者はかざぐるまの病気を心の病だったのかもしれないと考えています。
15円の人のイベント後にかざぐるまの部屋が緑色に染まる演出は嗅覚に訴えかけるものを感じました。煙草と洗剤は筆者の完全なイメージ。
彼は最初に姿を見た時にあまり健康的な印象がなかったのとjose編で会える場所が場所だけにもしかしたら患者だったのかもしれないという可能性を思い描いてしまいました。
あと、彼が感情を剥き出しにした姿はかざぐるまにとって醜悪に映ったのかもしれません。
無力な道化師と白兎と。(再構築ver)
(警告のようなもの)
この文章はpixivの方に置いていた、ゆめにっき派生作品Lost†Gameのネタバレを含むのでゲーム中の文字イベントとエンディングを見てからの閲覧を強くお勧めします。
それから、かなり歪曲した考察を行っているので話半分以下に読んでいただけたら幸いです。
ちなみに‘contribution’とは「投稿」という意味です。
(2014年10月11日追記)
一部加筆や修正をしました。
<contribution:1>「今日も無気力に生きていた。いつまでこんな日々が続くのだろう…。」
<contribution:2>「私は生きてる価値なんてないんだ。早く消えたい」
<contribution:3>「愛してほしい人に愛されない。愛される資格なんてない。いっそ殺してほしい。」
目の前の画面には、顔が見えぬ人間たちによって書かれた苦悩を吐露する文章がいくつも並んでいる。
そこは死を望む者たちが集う掲示板だ。
わたしは、今日もその場所へアクセスしていた。
画面を眺めながら考える。自分は何故生きているのだろう。
いつからか、わたしはそれが分からなくなっていた。
とはいえ、別に何かに挫折したわけじゃない。生きる意味を見失う理由たりうる大きな出来事なんて特に思いつかない。
ただ、いつの間にか人生の意味が分からなくなっていた。それだけのことだ。
そんな風に漫然と過ごす中、ある日ぼんやりとネットサーフィンをしていた時にわたしはこの掲示板に辿り着いていた。
そして、いつの間にかそこにアクセスする事が日課となっていた。
ここの人ならわたしの気持ちを理解してくれるだろうか。そんな思いがあることは否定しない。
わたしはそこに書きこむ勇気がなく、ただ掲示板の書き込みを見ているだけだ。ここの人たちは皆、何かに苦悩している。それを見ていると何故だか妙な安心感を覚えた。
ふと、部屋の壁に掛けてある時計を見ると既に丑三つ時になっていた。明日も学校だ。眠らなくてはいけない。
パソコンの電源を切り、部屋の明かりを消すと、わたしはベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい」
朝になり、わたしは目覚まし時計の音で目を覚ました。今日も無意味に一日を過ごすのかと思うと億劫だ。
それでもわたしはそれが義務であるかのように制服に着替え、学校に向かう準備を始めていた。
洗面所に立つと歯を磨き、長い髪を梳かした。
わたしの頭は癖毛のせいかてっぺんから短い毛が飛び跳ねている。周囲からはアホ毛と言われてしまうので昔からのコンプレックスだ。
飛び跳ねるアホ毛をどうにかするのを諦めてダイニングキッチンに向かうと、皿にに盛ったコーンフレークに牛乳を流し込んだ。それが今日の朝食だ。
牛乳でふやけたほのかに甘いコーンフレークを口に運んでいる間は、ほんの少しだけ憂鬱が紛れるような気がした。
コーンフレークを食べ終わると、父が読み終えたのだろうテーブルに置かれたままの新聞に何気なく目をやった。何故新聞を読む気になったのかは分からない。
とある家庭で幼い子供が母親からの虐待を受けて死亡した。とある中学校では中二の女子生徒がいじめを苦に飛び降り自殺した。目につくのはそんな記事ばかりだ。
テレビを見ていてもその手のニュースを聞かない日などない。それらを見聞きする度、私はこの世の中に嫌気がさしてくる。
わたしは考える。こんな世界で生きている意味はあるのだろうか。この世界は生きる価値があるのだろうか。
暫く考えたところで私は新聞をテーブルに置き、憂鬱を引きずったまま玄関を出た。
「行ってきます」
学校に着くと教室は各自グループに分かれて喋る生徒で騒がしかった。わたしはその雑音の中、自分の席へと向かった。
だが、女子生徒が一人、わたしの席に座って他の生徒と喋っている。これでは席に座れない。
「あの……ちょっとごめん」
わたしはおずおずと喋る女子生徒に声をかける。それなのに相手はお喋りに夢中でわたしに気付かない。
「ねえ、ごめん」
先ほどより大きな声で女子生徒に呼びかけると、彼女はわたしを一瞥した。
そして、これ見よがしに笑いながら言ったのだ。
「あーあ。邪魔だって言われちゃったよ。感じが悪い」
と。
相手の生徒もクスクス笑っている。そして、女子生徒と共に教室を出ていった。
わたしは「邪魔だ」なんて一言も言っていない。それなのに彼女は何故わたしの言葉から悪意を受け取ろうとするのか。分からない。
誰だって自分が座る席を他人に占拠されていれば嫌な気分になるはずだ。こんなわたしが間違っているというのか。
いずれにせよ、朝っぱらから新聞で嫌なニュースを読んだのも相まって非常に気分が悪い。
わたしは机の横に鞄をかけると、机の上に突っ伏した。
冷たい机に横たえられた頭がずきずきと脈を打つ。目を薄く開けると、前髪に遮られる視界の中で横倒しになった教室がくるくると回り始めた。
このうるさい教室にはよく笑い声が上がる。でも、わたしは何が面白いのか全く理解できない。
思えば、それは中学の頃からそうだった。
あの頃の私は、まだそれなりにクラスメートの話についていこうと努力していた覚えがある。
だけど、彼女たちはまるで花と花を行き来する蜂のように忙しく話題を変え、ころころと表情を変えるものだから、それに付いていこうとすればあまりに多くの情報を頭で処理しなければならなかった。
わたしにそれができる明晰な頭脳があるはずもなく、少しぼうっとしているうちに話題が変わっていて見当違いの返事をするなんてことは日常茶飯事だった。
そんなことを繰り返すうち、わたしは「空気が読めない子」やら「不思議ちゃん」やら「電波」やら、ある種不名誉な烙印を押されるのがお決まりだった。
ある時は、そのせいで「キャラ作りのためにわざと不思議ちゃんぶっている」だとか「ぶりっこ」などと因縁を付けられることさえあった。
そうするうち、同級生の間で空気を読み合ったり気を遣い合ったりする努力というものが虚しく思え、わたしはそれらの努力を一切やめて孤立を選ぶようになってしまったのだった。
このクラスでもわたしは陰で「感じが悪い」とか「ノリが悪い」と言われているらしい。
でも、興味がもてない。できないものはできない。ただそれだけのことだ。
彼女らは何が面白くてあんなに忙しく騒いだり笑ったりするのだろうか。わたしはそもそも相手に合わせてあんなに笑う意味が理解できない。そんなわたしは異常なのだろうか。
その後は、授業が進んでいった。わたしはただそれを大人しく聞いているだけだ。
わたしは考える。大人に言われたことをただただ毎日繰り返すだけの日々に意味はあるのだろうか。
もっとも、こんな日常が崩れるような大きな変化なんて軽々しく起きてほしくはないけれども。
わたしは黒板を眺めるうち、この世界で自分一人がよるべなく浮遊しているような奇妙な感覚に襲われた。
次第に、この目に映る景色が一枚のパノラマのように思えてくる。そんな中でわたしの存在は、パノラマに映る風景の一コマに過ぎなかった。
そして、この自分の意識が溶けて空気と混ざっていくかのようで段々不安になってくる。
わたしは本当に生きているのだろうか。それさえも分からなくなりそうだ。
――――『 』さん、『 』さん。
不意に聞こえてきた教師の呼び掛ける声でわたしは我に返った。
前を見据えると、銀縁の眼鏡をかけた中年の女教師が怪訝な目でわたしを見ていた。
「『 』さん。先ほどの続きを読んでください」
わたしは教師の言う通り、両手に持つ開いたままの教科書へと目を落とす。
そうだ。今は現代国語の授業中だ。続きってどこだろう。ぼんやりしていたので何処を読むのか分からない。
「七十ページの五行目から段落の終わりまでを読んでください」
教師は慌てるわたしを呆れた顔で見ながら言った。
――クスクス。クスクス。
教師の言うとおりに教科書に書かれた文章を読み始めると、教室の所々から笑い声が聞こえ始めた。
また笑い声だ。彼女らは何が面白いのだろう。こんな風に笑われるわたしはまるで道化師だ。
何故なのか眩暈がする。胸の中がもやもやしていて呼吸をするのも億劫だ。
まるで、自分の中で何かがゆっくりと剥離していくようだ。
だが、それが何かはその時点ではまだ分からなかった。
学校から帰宅し、いつものように夕食と風呂を済ませたわたしはこの日もその掲示板にアクセスしていた。
――クスクス。クスクス。
今も頭の中をクラスメートの笑い声が残響している。
わたしはそれが鬱陶しくて仕方なく、歯ぎしりをした。
わたしは笑われるために生きているわけじゃないはずだ。そんなこと、わたしは望んでなんかいない。
わたしは人に笑われながら生きることに意味なんて見出せない。そんな生き方に興味なんて感じない。
でも、クラスメートたちはいつでもわたしを笑い続けるのだ。
では、わたしは何故生きているのだろう。
誰か、わたしが生きている意味を教えてほしい。
誰か、わたしの話を聴いてほしい。
わたしはパソコンの画面を見ながらそう思っていた。
そして、気が付くとわたしはその掲示板に初めて書き込みをしていた。「ジョーカー」という名前を使って。
これは学校で頻繁に笑われる自分への皮肉を込めた名前だ。
<contribution:1>「最近、自分は何故生きているのだろうと頻繁に考えてしまう。別に特別つらいことがあったわけじゃないのに、悲しくもないのに、今のまま生きている意味が感じられない。こんなわたしは異常なんだろうか。」
パソコンの画面がわたしの紡ぎ出した言葉を映し出す。緊張しているせいか、マウスを握る右手はカタカタと震えている。
そこで、突然わたしは自分の言葉に疑問を抱いた。
わたしは本当に今をつらいと思っていないのだろうか。悲しいと思っていないのだろうか。
掲示板に新たな書き込みがされたのはそれから五分ほど経ってからのことだった。
<contribution:2>「>ジョーカーさん 異常ではないと思います。ジョーカーさん自身が気付いていない、何かつらいことがあるんじゃないでしょうか。」
その書き込みを見た瞬間、わたしは心臓を鈍器で殴られるような衝撃を覚えた。
やはり、わたしは自分でも気付いていないつらさを持っているのではないか。
ただ、それに気付きたくなくて無視し続けていただけなのではないだろうか。
そんなことを考えるうち、涙が出た。
この掲示板の人たちはとても優しい。わたしを見ても笑わない。
何より、自分と同じような気持ちの人間がいる。そして、わたし自身ですら気付いていない気持ちを汲み取ってくれる。
そのことに、わたしは今まで味わったことのないような安心を覚えたのだった。
それからのわたしは、頻繁に例の掲示板への書き込みをするようになっていった。
わたしは自分の中で曖昧に浮遊する鬱屈とした気持ちを刻みつけるように言葉を紡いだ。
それを何度も何度も繰り返すうち、わたしがずっと感じ続けていた何かが剥離していく感覚の正体がはっきりとしてきた。
わたしは、今や生きることに対して完全に興味をなくしていた。
わたしの中で剥離し続けていたのは、生きることに対する希望だった。
それを自覚した時、わたしは自分が絶望しきっていることを再確認させられることとなった。
この世界は嫌なことばかりで楽しいことなど何もない。そんな場所は生きるに値しない。
この頃のわたしはそんな確信を持っていた。
わたしは何故まだ生きているのだろうか。
もう生きているのが面倒くさくて、仕方ない。
コンピュータの電源を切るように、この命を終わらせてしまいたい。
学校にいても家にいてもこんな考えが頭の中をぐるぐると回り続けていた。
断片的な記憶を巻き返す。
教室に響くクラスメートの笑い声。まるでゲームを楽しむかのようなクラスメートの顔。そのゲームの一環のつもりか、女子トイレの洋式便所に投げ込まれたわたしの財布。
財布を洋式便所に投げ込まれた日、水道で擦り切れるほど洗った財布を抱いて廊下を歩くわたしの目にはすべての人間が「人」の形を失った姿に見えた。
この時のわたしは、彼女らのゲームに不本意ながら組み込まれていた。
彼女らにとってわたしなど人として存在しないも同然だったのだ。
そして、ゲームのターゲットになるのはわたしだけではなかった。
わたしが財布をトイレに投げ込まれた一週間後には、わたしの財布を目の前で便器に投げ込んだ女子生徒がゲームのターゲットになっていた。
ターゲットになった彼女は、わたしが財布を投げ込まれたのと同じ便器にわたしと同じように財布を投げ込まれた。
ゲームの参加者はターゲットに明確な悪意を抱いていないが、それと同時に善意も抱きえない。
あくまで面白ければ何でもいい。それ以上でもそれ以下でもない。
ゲームの参加者は全てゲームの一コマにすぎないのだ。
あの時のわたしは、クラスメートたちと同じように「人」の形を失ってしまった。
それは今も変わらない。わたしは人として存在しない。
鏡に映るアホ毛のひどいわたしは確かに人の姿をしているが、それは偽物でしかない。
自殺を思い立った時、別に悲しいという気持ちはなかった。
どうしてこんな簡単な答えに行き着かなかったのか。
わざわざ面倒なことを続けるのは不合理だ。生きることが面倒くさいならもっと早く自殺を考えれば良かったのだ。
わたしにあった思いはただそれだけだった。
これ以上、生きることに興味をなくしたままの自分を惰性で生かし続けるのはもう嫌だった。
わたしはこの人生という試合に負けてしまった。負け試合を続けていても意味なんてない。
いや、そもそもわたしは試合に必要な主体である人としての自分を喪失した時点で試合をすることすらできなくなっていたのかもしれない。
わたしは考える。それでも死を望むことは異常か。
そんなある日だった。その「書き込み」を例の掲示板で見たのは。
<Last contribution:1>「○月×日に、ここの皆さんで死にませんか。最期くらいは共にしましょう。」
<Last contribution:2>「午後四時の○○駅前に集合して、そこから△△の樹海を目指すという形でどうでしょうか。」
わたしは、迷わずその「書き込み」の内容に応じていた。
<Last contribution:3>「わたしも行きます。連れて行ってください」
命を絶つその日まで、わたしは学校に通い続けた。
そして、全てをおしまいにする日はとうとうやってきたのだった。
駅を出て空を見上げると、日が傾きかけていた。陰り始めた青空をカラスの群れが横切っている。
この時間帯の駅は、帰宅途中の学生で賑わっている。
学校帰りのわたしは「彼ら」を待っていた。
学校では、どこか上の空になりながらも普通に授業を受けてきた。
遺書を書いたところで何になるのかと家族に宛てた遺書を書く気にもなれず、学校にも今生の別れを告げるほど大事な人など特にいなかった。
そうして、わたしは学校帰りに近くのケーキ屋へ立ち寄るような感覚でこの場所にやってきたのだ。
死後の世界への扉なんて、ケーキ屋のドアくらい軽いものなのかもしれない。
――ケーキ屋に寄ったかと思えば、そこは死後の世界でした。
クリームや果物の代わりにあなたの臓物や血でデコレートされた死体ケーキがお勧めです。今ならあなたの骨入りビスケットもセットで付いてきますよ。
――――ああ、なんて滑稽なのだろう。わたしの人生なんて、本当にくだらないものだったのだ。
それにしても、本当にこの場所で合っているだろうか。「彼ら」は本当に来るのだろうか。
もし「彼ら」が来なかったら、わたしを連れて行ってくれるのは一体誰になるのだろう。
わたしはそんなことを考えるうち、不安を感じた。
そうして暫く案内板の前に立っていると、紺色のセーラー服を着た黒髪の少女が歩み寄ってきた。
少女は長い髪を二つくくりにし、長い前髪で片目を隠している。その幼げな風貌はどう見てもわたしより年下だ。
その少女はわたしに尋ねた。
「あの。すみません。あなたがジョーカーさんですか?」
と。
「あ。はい。そうですが……」
わたしはかすれた声で応える。
「私は白黒です。よろしくお願いします。とは言っても今日限りなのによろしくというのも変ですが」
その少女は頭を下げながら自分のハンドルネームを名乗った。
「あ。わ、わたしの方こそよろしくお願いします……!」
それに対し、わたしは緊張しながら深く頭を下げた。
そんなわたしに白黒は言った。
「今日限りなのだから、そんなに緊張しなくてもいいですよ。実は……あの書き込み、私がしたんです」
と。
わたしはやや驚いた。まさか集団自殺を持ちかけた人間が自分より年下の少女だとは。
「あなたは何故死ぬことを……?」
思わず、わたしは尋ねていた。
「あなたと同じ理由だと思います。どうせ最期なんですから、死ぬ理由を話すのも無駄じゃないですか」
わたしの問いに、白黒はにっこりと微笑みながら答えた。
少女の穏やかなのにどこか投げやりな口調。全てを諦めたような穏やかな笑み。
わたしはその穏やかさに途方もなく深い絶望を垣間見た。
「そうですね……」
わたしはそれっきり黙り込んだ。
程なくして、あの掲示板に集まる人たちが次々に集まってきた。
紺色尽くめの服を着た少女、車椅子の青年、髪を金髪にした派手な服装の女性、喪服を着た女性……。
集まったのは様々な人たちだった。
この人たちは皆何かに悩み、わたしと同じ答えに辿り着いた。そして今、皆で死に場所を求めてバスに乗ろうとしている。
いつしか新聞で見た、中学生の少女がいじめを苦に命を絶ったという記事を思い出す。
彼女も苦しんでまで生きていることに価値を見出せなくなったのだろう。だからこそ、彼女は校舎の屋上から一人で身を投げた。
そんな彼女と違い、同じ答えに辿り着いた者同士で集まって「生」を終わらせようとするわたしたちは臆病者だろうか。
わたしは考える。こんなわたし、彼らは異常か。
暫くぼんやりしていると白黒が言った。
「バスが来ましたよ。皆さん。行きましょう」
と。
そうして、わたしは「彼ら」とバスに乗ったのだ。
バスが止まると、通路に並ぶ乗客たちが順にバスを降りていく。終点が近いバスに新しく乗ってくる客はもういないようだ。
このバスの終点は樹海前だ。そこでわたしたちは命を絶つ。
「間もなく、バスが動きます。転倒しないようご注意ください」
早口な運転手のアナウンスが車内に響く。そして、バスは動き出した。
バスは道路を進んでいく。「終点」を目指して。
そして、わたしは非常口の傍の席に座りながら窓の景色をぼんやりと眺めていた。
バスの中は賑やかだ。乗客の大半がこれから死にに行くというのに。どうやら「彼ら」はそれぞれで身の上話をしているらしい。
わたしの前に座る女性は看護婦をしていたらしい。しかし、病気で仕事を辞めて以来、家にこもりがちになって自殺を考えるようになったという。
その隣の喪服を着た女性は唯一の肉親を事故で失い、ずっと一人で喪に服す生活を送っていたそうだ。
聞こえてくる会話に耳を傾けながら、今までにあの掲示板で見た「彼ら」の書き込みをできる限り思い出す。
そうすると、一つのことが分かった。
それは「彼ら」の多くは孤独だということだ。だからこそ、一緒に最期を迎えてくれる人を求めている。
だが、それは一緒に生きてくれる人が欲しいという願いの屈折したものに過ぎないのではないか。
わたしには「彼ら」の願いが屈折して全く違うものへ形を変えるまでの過程を全て知ることはできない。
ただ「彼ら」は最期を共にする人を求めるようになった。それだけが確かなことだろう。
わたしには、そんな「彼ら」を異常者、敗北者だと思うことはできない。できそうにない。
わたしは、もし「彼ら」と違う形で出会えたらもう少し生きていようと思えただろうか。
もし「彼ら」が一緒に死ぬ相手でなく、一緒に生きる相手だったら違っただろうか。
いや、今更こんなことを考えても遅いだろう。
やはり、わたしはこの試合に負けたのだ。無力なわたしは共に生きてくれる人を求めることを、生きることを早くに諦めていた。この時点で負けは確定していたのだ。
もうわたしは臆病者でも敗北者でも何でもいい。もう全ては手遅れなのだから。
わたしは靴を脱いで膝を抱えると、両腕に顔を埋めた。
それから暫くすると、わたしは不意に人の気配を感じて顔を上げた。
すぐ隣を見ると、一人の白い少女が座っている。
いつの間に彼女はこのバスに乗ってきたのだろうか。すぐ隣に人が座ったならいくら何でも気付くはずだ。
白い髪、血のように赤い目。少女の容貌はまるで白兎みたいだ。
その白兎のような少女はわたしの顔を見ると、静かに微笑んだ。少女の笑みは不気味だが、何故だか目を逸らすことができない。
彼女は人間離れしたような美しさを持っていた。それが最も適当な表現だろう。
その時だった。バスが下り坂で轟音を立てながら加速することに気付いたのは。
バスが走る先にはガードレールが見える。
加速するバスは止まらない。
運転手が叫ぶ。乗客が悲鳴を上げる。そして、わたしは無意識に頭を庇っていた。
バス全体に大きな衝撃が加わったかと思うと、バスが崖から落ちるというのが分かった。
今まで体験したことのない浮遊感の中、わたしは恐怖した。
この期に及んでわたしは死に恐怖しているのか。バスが落ちる中、わたしは妙に白けた気持ちになった。
やがて、浮遊するバスの中での永遠にも思える時間は終わりを迎え、轟音が響いた。
そこで、わたしの意識は途絶えた。
白と黒の部屋。十二の棺。そして、その中に眠る十二の死体たち。
わたしを追いかける、動物の被り物をした死神たち。
どれくらいの間、この世界を彷徨っていたのだろうか。
でも、この世界にわたしがいる必要はない。早くお別れをしなければ。
わたしは赤い扉を開いた。
目の前には長い廊下が続いている。その奥にもまた赤い扉だ。
わたしはもう迷わなかった。
目を覚ますと、白い天井が見えた。ここはどこだろう。
口元には何かの器具が着けられ、そこから空気が送り込まれてくる。
わたしは、全身に様々な管を付けられたまま白いベッドで寝かされていた。
――ここは病院だ。それを理解するのには時間がかかった。
全身が痛い。だから身体を動かすことはできない。
あの日、死に場所を求めて乗ったバスで何があったのかは分からない。
わたしが覚えているのは、白兎の少女の微笑を見たその後にバスがガードレールに向けて加速し始めたことだけだ。
そして、わたしがあの白と黒の部屋で見たものは全て夢だったのだろうか。
もしかすると、あの部屋と、そこから繋がっていた世界はわたしが今生きているこの世界と冥界の境界のような場所だったのではないだろうか。
わたしはずっとそこを彷徨っていたのだ。
白と黒の部屋には十二の棺が置かれていた。そして、全ての棺の中では死体が眠っていた。
棺の中の死体は皆、死に場所を求めてあの日のバスに乗った人たちだった。
おそらく「彼ら」は完遂したのだろう。
「白黒」と名乗る、全てに絶望しきった笑顔を見せていた少女。
かつてはスポーツの才能を認められてその一線で活躍することを夢見ていたこと、今は長患いに苦しんでいることを語っていた車椅子の青年。
わたしの隣に座っていた、白兎のような美しい少女。
その他のあのバスに乗っていた人たち。
彼らは皆、今やこの世の人間でない。
一方のわたしは完遂できなかった。ただ一人だけ死に損なった。
白と黒の部屋では、どんなに探しても十三基目の棺を見つけることはできなかった。
棺の前で「白黒」を手離し、「ナース」を手離し、「喪服」を手離し……全てを手離した末にわたしの手元に残ったのは「ジョーカー」に他ならなかった。
棺探しを諦めたわたしは、動脈と静脈を模るかのように赤と青に分かれた珍妙な衣装のままで白と黒の部屋を後にしたのだった。
そうして、目を覚ましたわたしはこの病室にいる。
わたしは決して十三人目になれなかった。それ以上でもそれ以下でもない。
白いベッドへ身を委ねたまま、わたしは無力に生きている。
ただ、それだけが事実だ。
*おしまい*
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